デンゲキニンテンドーDS
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デンゲキニンテンドーDS( - ディーエス)は、メディアワークスが発行する任天堂系ゲーム機専門誌。現存する任天堂系ゲーム機専門誌では、途中で総合誌へ転換したファミ通(エンターブレイン)を別にすれば最も長い歴史を持つ雑誌である。
また、現在発行されているゲーム雑誌中では数少ないオールカラー誌面を採用している。
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[編集] 沿革
[編集] 電撃スーパーファミコン
マル勝スーパーファミコンなどを編集していた角川メディアオフィス社の社員が、1992年秋に勃発した角川書店の「お家騒動」で一斉退社し新たにメディアワークスを立ち上げたのに伴い1992年12月26日、電撃スーパーファミコンが創刊された。愛称は読者公募により(ソフトバンクのTheスーパーファミコンが「Theスー」であったことから)「電スー」の案が出るも読者・編集部の双方から不評で定着せず、読者コーナー「電撃少年団」内で使用されていた「電ファミ」が自然に定着した。
- 電撃誌の中核
- その編集部は旧・マル勝スーパーファミコンの編集者がほぼそのまま移った体制でスタートし、同時に創発刊した5誌(他の4誌は電撃PCエンジン・電撃メガドライブ・電撃王・月刊電撃コミックガオ!)中で唯一の隔週刊であった本誌が電撃各誌の「中軸」を担った。
- 読者参加型ゲーム
- 旧・マル勝スーパーファミコンの「お家芸」であった読者参加型ゲームも健在で、聖獣魔伝ビースト&ブレイド(ORG)とJAJA姫武遊伝(中村うさぎ/衣谷遊)が隔号で連載された。
[編集] 電撃NINTENDO64
その後、1994年末に電撃PCエンジン増刊からスタートした電撃Play Stationが独立創刊し、新たな中軸となったことから1996年4月、2ヶ月後のNINTENDO64発売を控えて発売ペースを月刊に落とし電撃NINTENDO64へ誌名を変更した。愛称はデンロク。
- 「ここ10年間で最高の任天堂系雑誌」の呼び声
- 他社のNINTENDO64専門誌が相次いで休廃刊に見舞われる中でも気を吐き、E3特集や大人向け、全年齢向けの硬派で質の高い特集、単なるゲーム紹介でも非常に凝った構成の記事を掲載することで根強い読者を獲得した。
- 昨今の雑誌とは比較できないほど質・量に富むやり込みコーナーは有名で、特にゴールデンアイ 007人気に火を点けたのは本誌のゴールデンアイの魅力をクローズアップし徹底的にやり込む濃い記事が成しえた功績といえる。特定ゲームページも各ゲームファンをうならせた。今も電撃NINTENDO64を「ここ10年間で最高の任天堂系雑誌」と評価する者が少なくない。
[編集] 「ゲームの素」伝説
本誌は記事や特集だけでなく、読者投稿ページ『ゲームの素』(げーむのもと。通称「ゲー素(げーそ)」)も大きな特徴である。
- 「ゲー素」とは?
- 『ゲームの素』は他社製ハードに関するネタであっても「面白ければ採用」の方針のもと、任天堂系列雑誌にもかかわらずプレイステーションやセガサターンソフトなどのキャラクターイラストも乱立した、非常にマニアック且つ質の高い&濃い投稿ページであった。
- そのレベルはと言うと、本当に誌名が電撃NINTENDO64なのかと疑いたくなるほど読者コーナーの投稿イラストは任天堂系には全く縁のないイラストやネタがてんこ盛り状態であった。ドリームキャストが発売されるとドリームキャストネタが大量採用されたり、ソニーのキャラ・トロ、さらに突拍子もなくいきなり一昔前のアニメキャラのイラストまで載っていたりするのだが、なぜか普通にページに馴染んでいる。
- 中にはエロゲーキャラや成人誌にしか載せられないような非常にきわどいイラスト、下ネタも当たり前のように採用されていたが、驚きはこれだけにとどまらない。挙句には、任天堂キャラ(ポケモンのカスミがビーチで半脱ぎしているイラストなど)のきわどい投稿も普通に載せていたほどである(と言うよりはもともと投稿の大多数が露出度が高かったりやや大人向けのものがかなり占めていた)。
- 間違っても任天堂系雑誌であるから任天堂系自体の投稿は多いのだが、それ以上に他社ネタ投稿が多かった。「ゲー素のためにデンロクを購読していた」他機種ユーザーもかなりいたようであり、それだけ「ゲー素」が本誌のキラーコンテンツと化していて、廃刊が相次ぐ64系雑誌で生き残る原動力になっていたことがうかがえる。よって熱心な常連投稿者が多く毎号とも掲載されていた者が多かったが、全体の葉書採用数がかなり多いため常連贔屓といえる状況にはならず、絶妙なバランスを保っていた。
- また投稿葉書の中には、矢印を書いて「↑の葉書面白い」とだけぽつりと書いたり(ぽっかりネタと言われた。脱力ギャグ)、いくつもの葉書が合体して一つのネタになっていたりする投稿など、絵の上手下手や、その投稿内容の分類云々に関係なく採用されており、面白ければ何でもアリであった(採用を狙って送るより、駄目だろうと思ったもののほうが採用されやすいといった逸話までもある)。読者の要望に応じてコーナーや企画も頻繁に作られた。
- 本コーナーの担当ライターである中川大明(通称:だいめーさん)の人気もあり、現在に至るまでのあらゆるゲーム雑誌の読者投稿ページの中でも、その内容の面白さ・濃さ・マニアックさ・危なさは最高レベルと評され、今やゲーム雑誌界隈やゲームユーザーの間では「伝説の読者コーナー」として語り継がれている。任天堂キャラのきわどい画像を普通に載せるという任天堂をも恐れぬ果敢さも同時に伝説と化している。
- キャラクター
- 天堂はっぱ
- アニメ風少女キャラ。名前の由来は「8x8=64(ぱっぱロクヨン)」「NINTENDO64→天堂64→天堂8x8」の2説あり。
- 頭に十字ボタンの髪飾りをつけている。服も任天堂ゲーム機をモチーフにしている。
- 天堂サンディ
- お姉様系キャラ。口調もお姉様系。名前の由来は「NINTENDO 3D→天堂+3D」だが正式名称は「天堂はっぱ弐号機」。
- ロン
- 毎回被り物をして登場。ゲー素ではなぜか人生相談を担当していた。
- 松本剛
- 本誌編集長だがなぜか読者に人気があり、ゲー素で読者によって専用コーナーまでできてネタにされていた。
- 長谷川真(通称:はせがーさま)
- 本誌後期の編集長。
- 後藤勇
- 後継誌電撃GBアドバンス・電撃ゲームキューブ編集長。
- イメージイラストが「後藤」と書かれ目と口の部分だけ穴を開けた紙袋を顔に被っているぷよぷよのちょっぷんのような姿で
- 本誌編集部員のなかで一番読者のネタとして遊ばれていた。
- 任天堂ホームページのインタビューでも紙袋を被っている。
- 素部員
- ゲー素に投稿する読者のこと。インターネット上で活躍する素部員を電脳素部員という。
- CNシステム
- 葉書が採用されるとCNという番号が貰える。初投稿者コーナーもあり、「CN下さい」が慣用句になっていた。
[編集] しおまん64
誌面の最後にしおやてるこが書いている漫画。NINTENDO64をモチーフにした服を着たしおやが全世界に64を広めるため活躍するギャグ漫画で、旬の新作をパロディ化させたネタが中心。リンクのパチモノ「リンプ」など原作をパロディ化させたおもしろキャラも登場する。『ゲームの素』のインパクトに霞みがちだが、この『しおまん64』もインパクトは相当だった。
現在もタイトルを「しおまんD」に変え連載している。
[編集] 電撃GBアドバンス
2001年3月にゲームボーイアドバンスが発売されたのに伴い電撃GBアドバンスに誌名変更。路線はやや低年齢向けに傾いたが、電撃NINTENDO64からの雰囲気は健在でそれは微々たるものだった。
[編集] ゲームの心
電撃NINTENDO64時代の読者投稿ページ『ゲームの素』は、本誌から『ゲームの心』(げーむのこころ。通称「ゲー心(げーしん)」)に変更された。
雰囲気は相変わらずで引続き中川大明が担当したが、看板キャラクターが変わっている。ゲー素のCNはそのまま引き継がれている。
- キャラクター
- ミルキー
- ゲー素の天堂はっぱに代わるキャラ。本名はミルキー=ブルー。語源はゲームボーイアドバンスのカラーから。
- サニー
- ゲー素の天堂サンディに代わるキャラ。本名はサニー=ウェンズディ。
- 後藤勇
- 本誌編集長。編集長になったことでますます読者の玩具に・・・。
- ジルベールしの
- 初登場の本誌編集部員。イメージイラストはイケメン?系。
- 最初は本コーナーの空気に合わない言い回しが目立っていたがここからどんどん「出世」していくことに・・・。
[編集] 電撃ゲームキューブ
さらに、同年9月にはゲームキューブが発売されたことから8ヶ月と言う短期間ながら2002年1月号より電撃ゲームキューブへ誌名を変更。愛称はデンキュー。電撃NINTENDO64を思わせる全年齢向けの編集で支持を集めた。
[編集] 真・ゲームの素
『ゲームの心』の名前が不評だったのか、本誌から再び読者投稿ページにゲームの素が入った『真・ゲームの素』(しん・げーむのもと。通称「真・ゲー素(しん・げーそ)」)
雰囲気は相変わらずで引続き中川大明が担当した。
- キャラクター
- 弓子
- 読みは「キューコ」だが、このように呼んではいけない。語源は「ゲーム"キュー"ブ」から。
- 藝妓
- 読みは「ゲーコ」だが、このように呼んではいけない。語源は「"ゲー"ムキューブ」から。
- 後藤勇
- 本誌編集長。引き続き読者に弄られる・・・。
- ジルベールしの
- ゲームの心より目立ちはじめて・・・。
[編集] デンゲキゲームキューブ
2004年1月号以降はデンゲキゲームキューブに改名。表紙にポケモン、付録にポケモングッズという構成で、誌面を低年齢向けへ一気にシフトさせる。
[編集] 幸福楼
この読者投稿ページは初期こそ『ゲームの素』の雰囲気のままだったが、低年齢化と低年齢読者参加が進むにつれ濃い読者が離れていった。10年近く投稿し続けていた読者を切り捨てる行為として誌面の低年齢化を批判する声もあったが、結局かつての読者は本誌から離れるのを余儀なくされ「難民化」してしまった。
この煽りを受けてか、ニンテンドードリームに読者ページが増加する現象が起きているが、ペンネームから、電撃~からニンテンドードリームに移った読者は少なく結局大部分は「難民化」してしまったとされる。
ちなみにこの読者コーナーでとうとうジルベールしのがメジャーな地位?を獲得した。
[編集] 現在
[編集] 低年齢路線化の傷
2006年4月号よりデンゲキニンテンドーDSへ誌名変更し、現在に至る。
部数はファミ通DS+Wiiには及ばないながらもNintendo DREAMの15万部よりは上で、「老舗」であることから本誌を支持する読者も少なくない。ただし低年齢向けに舵を切ったため、電撃NINTENDO64時代から読者層、及び大人の読者層からは不評との指摘もある。
このようになったのは、「デンゲキ」へと変わった時期(2003年末)、任天堂はテレビゲームに参入以降最も低迷しており(E3で記者が発表会途中で席を立っていくなどの屈辱を舐めたり、就任したばかりの岩田社長が何をしても批判されるなど)「任天堂はもう二度とソニーを上回ることなく未来永劫下野し続け、ポケモンで辛うじて食い繋ぎながら近くゲームから撤退するのでは」というような終末感が業界・ユーザーの間に漂っていたことが大きく、それが結果として安易な低年齢路線転向を招いた。しかしこれから1年後のニンテンドーDSで任天堂は右肩上がりの復活劇をみせ、大人ユーザーも増加、さらにはWiiで再び日本国内トップシェアを獲得する見通しが強まっているため、本誌の低年齢路線転向は失敗だったとの意見も多い。
結果的に低年齢路線転向後、部数が他誌に抜かれたり読者コーナー目当てで購読していた多くの読者を見捨てることになったなど、電撃NINTENDO64時代はおろか低年齢化したばかりのデンゲキゲームキューブ創刊当初から見ても目に見えるほど路線転向の傷が顕著であり、唯一「老舗」だという点だけが唯一の本誌のアイデンティティになってしまっているようである。
[編集] DENGEKI DS Style創刊
2006年10月からは、本誌の増刊として新しくDENGEKI DS Style(2007年のVol.3よりDENGEKI DS&Wii Style)が創刊される。
これは本誌とは対照的に、幅広い世代に楽しめる内容となる予定である。この「DS&Wii Style」はまだ試験的な不定期刊行にとどまっているが、「デンロクの再来」や「ゲー素の再来」を期待する元電撃NINTENDO64読者などから注目されている。
よって今後は低年齢層は「デンゲキニンテンドーDS」、大人は「DS&Wii Style」といった風に分かれることが予想される。