ドルフ・ラングレン
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ドルフ・ラングレン(Dolph Lundgren、1957年11月3日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身の俳優である。本名はハンス・ラングレン(Hans Lundgren)。
身長198cm、体重108kg。誕生年については1959年との説もある。
[編集] 来歴・人物
ワシントン州立大学在学中の1977年に、国際空手道連盟極真会館(極真空手)の黒帯を授与される。1979年にスウェーデン代表として世界大会で準優勝。二段となる(現在は3段)。この頃空手の世界で彼は、「スウェーデンの若鷹」と称され、将来を期待されていた。来日した時は、極真空手の大山倍達総裁から食事にも誘われたと伝えられる。1980年と1981年にはヨーロッパの、1982年にはオーストラリアにおけるキックボクシングの大会を制覇した。その後モデルの仕事を経て『007/美しき獲物たち』で端役ながら映画デビュー。人気ボクシング映画『ロッキー』シリーズの4作目、『ロッキー4/炎の友情』で、主人公ロッキーのライバルとなるロシア人ボクサー「イワン・ドラゴ」を演じる。同作で主演脚本双方を務めたシルヴェスター・スタローンは当初、別の俳優に目を付けていたが、ラングレンが熱心に売り込みに通ってきたという。結局、端正な顔立ちと198cm、108kgの恵まれた体格を気に入り、スタローンはラングレンにドラゴ役を打診、ラングレンは快諾した。極真空手でボクシングとは一風違ったパンチの癖がついていた彼は、その点も買われたのだという。当時は冷戦のさなかであり、アマチュア選手ながらソ連の科学力で圧倒的な破壊力を持つドラゴを演じたラングレンは、作品の大ヒットも相まって一躍注目を浴びる存在となった。以降、一貫してアクション映画への出演に拘り『ディフェンダー』、『レッド・リベンジャー』で監督業にも進出を果たしている。
恵まれた体格と運動能力の他に、勉学に対する真摯な姿勢はアクション映画を活動の基盤にすえる俳優としては希有であり特筆すべきものがある。ワシントン州立大学以外にも、スウェーデン王立工科大やシドニー大学で数学、物理学、化学を学び、さらに奨学金を得てマサチューセッツ工科大学にも入学した。科学者に不向きであると悟って中退し俳優への道を歩むことになるのだが、性格と気前の良さから交友関係も広く母国語の他に、英語、ドイツ語、フランス語、日本語を使いこなせる。また一説には知能指数が160であるとも言われている。1996年に開催されたアトランタオリンピックでは近代五種競技のチームリーダーを務めた。
1990年にベリー・モンと結婚するも翌年に離婚。1994年にスタイリストのアネット・クイバーグと再婚。1996年に長女、2002年に次女が誕生した。
あえて短所を言えば、肉体派アクションが売りの反面、表情に乏しく演技力がいまいちであるということ。アクション俳優が演技派に転換するのは普通なのだが、良くも悪くもラングレンはそれが出来るタイプではない。また、大ヒットしラングレンを一躍大スターの座に上げた『ロッキー4』のドラゴ役のインパクトがあまりにも強く、未だにそのイメージがつきまとってしまうのだが、これは仕方ないことでもある。
[編集] 出演作品
- 007/美しき獲物たち(1985年)
- ロッキー4/炎の友情(1985年)
- マスターズ/超空の覇者(1987年)
- レッド・スコルピオン(1988年)
- パニッシャー(1989年)
- ダーク・エンジェル(1990年)
- リトルトウキョー殺人課(1991年)
- デスロック/戦略ガス兵器を追え!(1991年)
- ユニバーサル・ソルジャー(1992年)
- バニシング・レッド(1992年)
- ソルジャーゴールド(1994年)
- J.M.(1995年)
- スナイパー/狙撃(1996年)
- ピース・キーパー(1997年)
- ブラックジャック(1998年)
- ブラック・ソルジャー(1999年)
- ブラック・スコルピオン(2004年)
- ドルフ・ラングレン in レッド・リベンジャー(2005年)