ネーデルラント
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ネーデルラント(Nederland)
- 現在のネーデルラント王国(オランダ)のこと。オランダという名称は、ホラント州からとられたネーデルラント連邦共和国の通称ホラント(Holland)のポルトガル語Olandaに由来し、戦国時代の日本に伝えられた語。
- (歴史的な呼称として)現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国(ベネルクス三国)にあたる地域(本項で記述)。低地地方、低地諸国と訳されることもある。
ネーデルラント(Nederland)はオランダ語で「低地の国」「低地地方」の意。中世以降、フランドル地方を中心に商業が発展し西ヨーロッパの先進地域であった。14世紀後半、ブルゴーニュ公国領としてこの地域は政治的に統合され、15世紀後半にはハプスブルク家が継承した。
ハプスブルク家がオーストリア系・スペイン系に分かれると、ネーデルラントはスペイン・ハプスブルク家が支配した。宗教改革以降、プロテスタントの勢力がカトリック国スペインの支配に抵抗し、北部ネーデルラントの7州はオランダ独立戦争によってハプスブルク家の支配から独立した。北部7州は連邦制・共和制(ネーデルラント連邦共和国)、フランスの支配(バタヴィア共和国、ホラント王国、フランス帝国への併合)を経て、オラニエ=ナッサウ家を王家とする現在のネーデルラント王国(オランダ)に到る。
一方の南部ネーデルラントは、スペインの支配下に留まる(スペイン領ネーデルラント)ものの、フランス王国との係争地となり、オランダ(連邦共和国)も巻き込んでネーデルラント継承戦争が起こされた。スペイン継承戦争後は、オーストリア領(1713年-1793年)となるが、フランス革命戦争後にフランスが併合した。1815年のウィーン条約(ウィーン会議)ではオランダ王国に編入されるが、オランダ人の支配を嫌い、1830年に革命が起こった。翌年、イギリスなどの承認によりドイツ貴族ザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルド1世を国王とする立憲君主国・ベルギー王国が成立した。オランダは1839年にベルギーの独立を承認した。
(ルクセンブルクの項も参照)
[編集] 関連項目
- ネーデルラント連邦共和国
- ネーデルラント連合王国
- ネーデルラント継承戦争
- オランダの歴史
- オランダ君主一覧
- オラニエ=ナッサウ家
- ザクセン・コーブルク・ゴータ家
- ベネルクス3国
- フランドル
- ルネサンス(北方ルネサンス)
- アラトリステ(17世紀ネーデルラントを舞台とした冒険小説)
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