バッシャール・アル=アサド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バッシャール・アル=アサド(بشار الاسد Bashshār al-Asad, 1965年9月11日 - )は、シリアの政治家で、大統領(在任2000年 - )、バアス党書記長。ハーフェズ・アル=アサド前大統領の次男。
シリアの首都ダマスカス出身。元々本人には政治家になる意図は無く、兄でハーフェズ・アル=アサドの長男にあたるバーセル・アル=アサドが父の後継者とみなされていた。ダマスカス大学医学部を卒業後、1990年代初頭に眼科医を目指してロンドンに留学していたが、兄バーセル少佐が交通事故で死亡したことからやむを得ず留学を中断、シリアに帰国して後継者となった。帰国後は陸軍の軍務について大尉に任官、シリア陸軍戦車部隊の隊長となる。さらに1995年よりダマスカスの軍事高等アカデミー幕僚司令部訓練コースで学び、その終了後は大佐に昇進、父の健康不安が取りざたされる中で後継者としての地位を固めた。
2000年6月10日に父ハーフェズが死去すると翌日陸軍大将に昇進、軍最高司令官に任命され、6月18日にはバアス党書記長に就任。7月10日に信任を問う国民投票を実施し、7月17日に後継大統領に就任した。
2001年にはイギリス生まれでスンナ派に属するシリア人女性、アスマー・アフラスと結婚した。アサド政権のもとで、シリアはアサド父子の出身母体であるアラウィー派が人口的には少数派であるにもかかわらず政権で優遇され、最大宗派のスンナ派を支配してきたため、この結婚をきっかけに両者の融和を求められた。
バッシャール・アル=アサド大統領は大きな波乱なく権力を継承したが、政治的経験がほとんど無いためあまり国政で主導権を握ることはせず、もっぱらハーフェズ時代以来の首脳が政務を行っているのが政権の実態である。生来の温厚な性格もあって、憲法で承認された絶大な大統領権力は、バッシャール時代になるとあまり行使されなくなった。
|
|
|