バニーズ京都サッカークラブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バニーズ京都サッカークラブ | |
原語表記 | バニーズ京都サッカークラブ |
---|---|
愛称 | B京都 |
クラブカラー | 水色 |
創設年 | 1990年 |
所属リーグ | 日本女子サッカーリーグ |
所属ディビジョン | 2部 |
ホームタウン | 京都府 |
ホームスタジアム | {{{スタジアム}}} |
収容人数 | {{{キャパ}}} |
代表者 | 宮宇地昭 |
監督 | 宮宇地昭 |
バニーズ京都サッカークラブ (-きょうと-)は、 L・リーグ(なでしこリーグ)に所属する女子サッカーのチーム。京都府京都市を本拠地とする。
ルーツとなるチームは、大阪府北部を中心に活動していた女子サッカーチーム、大阪FC。 1990年3月にゴルフ場運営会社の旭国際開発㈱による女子サッカー部「旭国際バニーズ」として、大阪FCを基盤とする形で創設。その際、旭国際開発が経営するゴルフ場のひとつが所在する、兵庫県宝塚市をホームタウンとし、別のゴルフ場が所在する兵庫県東条町(現加東市)に練習場を置いた。 翌1991年から日本女子サッカーリーグに日興證券ドリームレディース、松下電器LSC、フジタ天台SCマーキュリーとともに参加した。
1995年から「宝塚バニーズレディースサッカークラブ」と改名し地域密着を掲げての活動を開始。日本女子代表のエース・水間百合子、野田朱美や外国人選手が在籍し、そのほかの選手も競技に専念。年間1億円以上の運営費により勝利給も支給されていた。
だがバブル経済の崩壊を受け、旭国際が経営から撤退したため廃部の噂もあったが、1999年からは「自立」のスローガンを掲げて、勉学・仕事とサッカーの両立を目指すこととし、2000年には完全な市民クラブとしてひとり立ち。宝塚市民、後援会員、選手の家族などの支援が活動が中心となった。
仕事や学業を終えた夜間に練習を行うが練習場の確保もままならず、遠征費も選手たちが身銭を切って捻出するなど経営は非常に厳しく、そのため遠方での試合にもバスによる移動を強いられていた。
そのような中で京都府サッカー協会への移管交渉が進められ、2006年2月1日から名称を「バニーズ京都サッカークラブ」と変更。(手続き上は宝塚バニーズを解散の上、選手はバニーズ京都または他チームと契約)またスポンサー企業探しも行われ、多くの選手は佐川急便京都店での就業を斡旋されるなど、競技環境は大幅に改善されることになった。
下部組織は「バニーズ京都SC SPIELEN」「バニーズ京都SC SPIELEN Jr.」とがある。前者はU-15以上の世代に属する選手が、後者はU-12世代の選手が所属する(※2006年度現在)。
目次 |
[編集] チーム成績
[編集] L・リーグ
回 | 年度 | チーム名 | リーグ | チーム数 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 順位 |
3 | 1991年 | 旭国際バニーズ | JLSL | 10 | 18 | 10 | 4 | 2 | 12 | 8位 |
4 | 1992年 | 10 | 18 | 14 | 6 | 2 | 10 | 6位 | ||
5 | 1993年 | 10 | 18 | -- | 5 | -- | 13 | 7位 | ||
6 | 1994年 | L・リーグ | 10 | 18 | -- | 5 | -- | 13 | 9位 | |
7 | 1995年 | 宝塚バニーズレディースサッカークラブ | 10 | 18 | -- | 1 | -- | 17 | 10位 | |
8 | 1996年 | 10 | 18 | -- | 8 | -- | 10 | 6位 | ||
9 | 1997年 | 10 | 18 | -- | 3 | -- | 15 | 10位 | ||
10 | 1998年 | 10 | 18 | -- | 10 | -- | 8 | 6位 | ||
11 | 1999年 | 8 | 14 | 15 | 5 | 0 | 9 | 6位 | ||
12 | 2000年 | 9 | 14 | 13 | 4 | 1 | 7 | 7位 | ||
13 | 2001年 | 10 | 14 | 19 | 6 | 1 | 6 | 8位 | ||
14 | 2002年 | 11 | 11 | 19 | 6 | 1 | 3 | 5位 | ||
15 | 2003年 | 13 | 20 | 20 | 6 | 2 | 8 | 9位 | ||
(16) | 2004年 | L・リーグ1部 (L1) |
8 | 14 | 12 | 4 | 0 | 10 | 6位 | |
(17) | 2005年 | 8 | 21 | 4 | 1 | 1 | 19 | 8位 | ||
(18) | 2006年 | なでしこリーグ ディビジョン2 |
8 | 21 | 16 | 5 | 1 | 15 | 6位 |
- 1992年まで「勝ち点制」(勝ち2、引き分け1、負け0)を採用。
- 前後期制を採用した1993年から1999年までの成績は年間順位。
- 予選(地区)リーグと決勝リーグを採用した2000年から2003年までの成績は年間順位。チーム数は両地区の合計チーム数。
- 1999年から「勝ち点制」(勝ち3、引き分け1、負け0)を採用。
- 2004年から二部制に移行。チーム数は所属リーグのみ。
- 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記するようになった。
[編集] 1997-98入替戦
L・リーグ参入希望チーム | 結果 | L・リーグ最下位 |
マザーズ熊本レインボーレディース | 1回戦0-12 2回戦0-14 |
宝塚バニーズレディースサッカークラブ |
※宝塚バニーズのL・リーグ残留決定
[編集] 2004 L1参入チーム決定戦
- 開催期間: 2003年12月4日‐23日
順位 | チーム | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
1位 | 大原学園JaSRA女子サッカークラブ | 3 | 6 | 2 | 0 | 1 |
2位 | 宝塚バニーズレディースサッカークラブ | 3 | 6 | 2 | 0 | 1 |
3位 | 岡山湯郷Belle | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 |
4位 | ASエルフェン狭山FC | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 |
※大原学園、宝塚バニーズのL1参入決定
[編集] チームカラー
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
- チームカラーは水色
[編集] チーム名変遷
- 1990年(創部)- 1994年 旭国際バニーズ
- 1995年 - 2005年 宝塚バニーズレディースサッカークラブ
- 2006年 - バニーズ京都サッカークラブ
[編集] 歴代監督
(日本女子サッカーリーグ参入以降)
- 1991年 - 1993年 河本雅彦
- 1994年 鎌田俊司
- 1995年 ヘルムート・コスメル
- 1996年 河本雅彦
- 1997年 - 1999年 渡部博尚
- 2000年 田中真由美
- 2001年 - 2004年7月 高藤順
- 2004年9月 - 2005年 島田素英
- 2006年 - 牛浜真
[編集] 選手(2006年現在)
[編集] 現在の所属している主な選手
(数字は2006年の背番号)
[編集] かつて所属していた選手
- 野田朱美(解説者・日本女子代表)
- 水間百合子(日本女子代表)
- 清原万里江(TASAKIペルーレFC)
- 小林恵(伊賀フットボールクラブくノ一)
2007 mocなでしこリーグ |
---|
なでしこリーグ1部 |
アルビレックス新潟レディース| 浦和レッズ・レディース| 日テレ・ベレーザ| 大原学園JaSRA女子 |
なでしこリーグ2部 |
TEPCOマリーゼ| ジェフ千葉レディース| ASエルフェン狭山| 清水第八SC |
過去の参加チーム(参考) |
日産FCレディース| 新光精工FCクレール| 清水FCレディース |