ヒシアケボノ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1992年2月27日 |
死没 | - |
父 | Woodman |
母 | Mysteries |
生産 | スウェッテンハム スタッド 他 |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | 阿部雅一郎 |
調教師 | 佐山優(栗東) |
競走成績 | 中央29戦6勝 地方1戦0勝 |
獲得賞金 | 3億2426万2000円 |
ヒシアケボノは日本の競走馬。アメリカ産まれの外国産馬である。550キロを超える巨漢馬ながら短距離路線で活躍した。半弟にアグネスワールドがいる。主戦騎手は角田晃一。
[編集] 戦績
1994年秋の東京競馬でデビュー。初勝利までに6戦を要したがそこからトントン拍子で4連勝。そして迎えた1995年のスワンステークスで1400メートルを1分19秒8の圧巻のタイムで勝利。続くマイルチャンピオンシップでは人気を集めるが惜しくも3着。しかし次のスプリンターズステークスでは1番人気に見事応えてGI初制覇。この年の最優秀短距離馬に輝いた。なお、この時の馬体重は560kgで2006年4月現在JRA史上最高馬体重でのGI勝利となっている
翌1996年は高松宮杯でスプリントGI連覇を狙うもフラワーパークの3着、安田記念では12番人気と大きく評価を落としながらも逃げ戦法で最後まで見せ場を作ってトロットサンダーの3着。存在感を見せ付けた。
夏場は休養し秋初戦のスワンステークスに出走したが、ここから歯車が狂い出す。スワンステークスでのヒシアケボノの当日の馬体重は、何と前走から30キロ増の580キロを記録。明らかな太め残りで11着と惨敗。更にマイルチャンピオンシップでは陣営が「一叩きしたことによって絞れたはず」とコメントしていたものの、実際には2キロ増の582キロとなっていた上に15着と再び惨敗。連覇を狙ったスプリンターズステークスは何とか絞れて566キロで出走出来たものの、肝心のレースは出遅れで4着。翌1997年はオープン特別で掲示板に1度載っただけ(ただしこのときは61キロを背負っての5着)で、後は着外と凡走の連続。この年のスプリンターズステークスを最後に引退し、種牡馬となった。
当時現役最重量級の超大型馬であり、「アケボノは今回何キロ増なのか」という点でも競馬ファンの注目を集め、競馬場や場外馬券売場での馬体重発表時にはしばしばどよめきや喚声が起こった。また、自身古馬になってからの勝利がなかったが、これは父ウッドマンや母の父シアトルスルーの産駒の特徴である「成長が早いが衰えも早い(早熟)」傾向にヒシアケボノがあてはまったという見方もある。
ヒシアケボノの血統 (ミスタープロスペクター系/Glamour4×5=9.38% Nasrullah5×5=6.25%) | |||
父
Woodman 1983 栗毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
*プレイメイト 1975 栗毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Intriguing | Swaps | ||
Glamour | |||
母
Mysteries 1986 黒鹿毛 |
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning | Boldnesian |
Reason to Earn | |||
My Charmer | Poker | ||
Fair Charmer | |||
Phydilla 1978 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer | |
Goofed | |||
Gozilla | Gyr | ||
Gently F-No.6-b |
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