ビル・ウォルトン
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ビル・ウォルトン(Bill Walton,本名William Theodore Walton III,1952年11月5日-)はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。カリフォルニア州ラ・メサ出身。NBAのポートランド・トレイルブレイザーズなど3チームに所属した。身長211cm、体重95kg。ポジションはセンター。ロサンゼルス・レイカーズに所属しているルーク・ウォルトンの父親である。
[編集] 経歴
大学時代は名将ジョン・ウッデンの下、UCLAを2度の全米制覇に導き、3年連続で最優秀選手に選ばれるなどスター選手として活躍した。大学卒業後、1974年のNBAドラフトで全体の1位指名をポートランド・トレイルブレイザーズから受けNBA入りした。 ブレイザーズでは年々成績を伸ばし、3年目の1976-77シーズンには、平均18.6得点、14.4リバウンド、3.8アシスト、1.0スティール、3.2ブロックを記録し、リバウンド王に輝いた。また、オールスター、オールNBA2NDチーム、オールディフェンシブ1STチームにも選ばれた。プレイオフではカリーム・アブドゥル=ジャバーのいたレイカーズを4-0で破り、NBAファイナルへ進出。フィラデルフィア・76ersにも4-2で競り勝ち、ファイナルMVPに選ばれた。 翌1977-78シーズンも、得点とアシストで自己最高を記録するなど活躍し、オールスター、オールNBA2NDチーム、オールディフェンシブ1STチームに加え、シーズンMVPも受賞した。プレイオフでは怪我により2試合しか出場できず、シアトル・スーパーソニックスに2-4で敗れた。
その後のウォルトンは怪我により調子を落とすようになり、サンディエゴ・クリッパーズ(現在のロサンゼルス・クリッパーズ)を経て、1985年9月に、ボストン・セルティックスへ移籍した。1985-86シーズンは自己最多の80試合に出場、シックスマン賞としてチームを支え、シックスマン賞を獲得した。プレイオフではNBAファイナルに進出し、ヒューストン・ロケッツを破り優勝した。 翌86-87シーズンは、怪我で10試合の出場に留まり平均得点は2.8得点まで落ち込んだ。プレイオフではチームはファイナルに進出したが、ロサンゼルス・レイカーズに惜敗した。
現役引退後は、解説者として活躍している。
1993年に殿堂入りを果たし、1996年には、NBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の1人に選ばれた。
[編集] 外部リンク
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