ウィルト・チェンバレン
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ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain、フルネームウィルトン・ノーマン・チェンバレン Wilton Norman Chamberlain、1936年8月21日 - 1999年10月12日)は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。1960年代から1970年代にかけてNBAでプレイした。ポジションはセンター。類まれな得点力やリバウンド力を持ち、インサイドで他の選手を圧倒した。今なお破られない数多くのNBA記録を保持する。ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。身長216センチ。
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[編集] プロ入り以前
高校は地元フィラデルフィアのオーバーブルック高に通う。高校時代にチェンバレンがプレイした3年間で、同校のチームは56勝3敗だった。ある試合では90得点を上げ、そのうちの60点は12分間で入れたものだった。チームメイトたちは、チェンバレンがリバウンドから得点できるようにわざとフリースローを外すこともよくあった。1955年には All America に選出されている。
後にまで残るニックネームはこの頃つけられた。"Wilt the Stilt" (「竹馬ウィルト」)はひょろ長い風貌からついたあだ名だが、チェンバレンが好まないにもかかわらず使われ続ける。もう一つ "Dipper" は、彼がドアを通るときに頭をかがめた動作からつけられたもので、のちに "The Big Dipper" (「北斗七星」)に転じた。この呼び名はプロ入り後にも続いた。
200以上の大学からスカウトを受けたチェンバレンは、カンザス大学を選ぶ。大学デビュー戦ではチーム歴代記録となる52得点を上げる。翌年の1957年にはチームはNCAA決勝まで進み、敗れたもののチェンバレンは最優秀選手に選ばれている。翌シーズン、彼は The Sporting News の All America Team に選出される。
高校時代と大学時代には陸上選手でもあった。3年次には大学が所属するカンファレンスの陸上大会に出場、走り高跳びで優勝しているほか、100メートル走、三段跳びでも活躍している。巨体であるにもかかわらず、100メートルを10.9秒で駆け抜ける駿足だった。
[編集] プロ入り
1958年、チェンバレンはプロ入りを決意。しかしこの時はまだ大学卒業前の3年生で、規則上NBAではプレイできなかった。チェンバレンは巨額の年俸でハーレム・グローブトロッターズに入団、1年間プレイした。
当時のNBAには、チームが1巡目指名を放棄する代わりに地元の選手を獲得できる「地域ドラフト」の制度があり、チェンバレンはフィラデルフィア・ウォリアーズに指名される。
[編集] NBA時代
[編集] キャリア概観
ルーキーだった1959-60シーズン、チェンバレンは37.6得点27リバウンドを上げ、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)と同時にMVPを受賞する最初の選手となる。この頃はウォリアーズと同じイースタン・ディビジョンに所属するボストン・セルティックスの黄金時代初期で、チェンバレンは終生のライバルと言われることとなるセルティックスのビル・ラッセルと初めてプレイオフで対決。レギュラーシーズンの個人成績ではチェンバレンが勝っているにも関わらず、NBAファイナルに進出したのはラッセルのセルティックスだった。同様の展開がこの後7年間続くことになる。チームを優勝に導けなかったチェンバレンは批判を受け続け、「誰もゴリアテを愛さない」と言う言葉を残した。
チェンバレン個人の成績は華々しいもので、インサイドでは他を寄せつけない強さを見せた。新人のシーズンから1965-66シーズンまで7年連続で得点王となり、リバウンドでも5回リーグ最多を記録している。
1962年、フィラデルフィア・ウォリアーズはカリフォルニアに移転し、サンフランシスコ・ウォリアーズと改称。その後、チェンバレンは1964-65シーズンにフィラデルフィア・セブンティシクサーズに移籍。この間もチェンバレンはNBAファイナルで、またはイースタン・ディビジョンのファイナルでビル・ラッセルのセルティックスと対戦しているが、ことごとく敗れ、セルティックスは連覇を続けた。
この連鎖が終わったのが、アレックス・ハナム監督が率いた1966-67シーズンだった。このシーズン、ハナム監督の方針でチェンバレンは得点を落とし、キャリアで初めてシーズン平均得点が30点を割った。一方でアシストは例年よりも増え、ボールがよく回るようになった。チェンバレンは初めてラッセルのセルティックスを破り、このシーズン初めて優勝を経験する。
1968年、チェンバレンはロサンゼルス・レイカーズに移籍。年齢とともに次第に得点の成績は下がっていったものの、当時強豪だったレイカーズの一角を支える選手の一人であり、1972年には2度目の優勝を果たしている。
[編集] 所属チーム
- フィラデルフィア(サンフランシスコ)・ウォリアーズ (1959年~1965年)
- フィラデルフィア・セブンティシクサーズ (1965年~1968年)
- ロサンゼルス・レイカーズ (1968年~1973年)
[編集] リーグ記録
- 通算試合出場 1,045試合
- 通算得点 31,419点 (1試合平均 30.06点)
- 通算リバウンド 23,924回 (1試合平均 22.9回)
- 通算アシスト 4,643回 (1試合平均 4.4回)
生涯通算得点の 31,419 点は、カリーム・アブドゥル・ジャバー、カール・マローン、マイケル・ジョーダンに次いで歴代4位。
生涯平均得点の 30.06 点は、マイケル・ジョーダン(30.12)に次いで歴代2位。
フリースローの生涯平均成功率は 51%と、キャリアを通して低いままだった。得点力の高さとフリースロー成功率の低さは、しばしばシャキール・オニールと比較される。
チェンバレンは、特に得点に関するNBA記録を多く持っている。以下はそのうちの代表的なものである。
- シーズン平均得点: 50.4 (1961-62シーズン)
- シーズン最多得点: 4,029 (1961-62シーズン)
- シーズン最長平均出場時間: 48.5分 (1961-62シーズン。規定の試合時間48分より長いのは延長戦もあったため)
- 1試合最多得点: 100 (1962年3月2日、対ニューヨーク・ニックス戦、ペンシルバニア州ハーシーで)
- シーズン平均フィールドゴール成功率: 72.7% (1972-73シーズン)
接触の多いポジションでプレイしながら、キャリアを通じてファウルアウトしたことはなかった。
[編集] 受賞歴(個人タイトル)
- MVP 4回 (1960年、1966年~1968年)
- 新人王 1960年
- All-NBA First Team 7回 (1960年~1964年、1966年~1968年)
- All-NBA Second Team 3回 (1963年、1965年、1972年)
- All-NBA First Defensive Team 2回 (1972年、1973年)
1978年にバスケットボール殿堂入り。1996年に「NBA50年間の偉大な50人の選手」に選出。
[編集] バスケットボール以外のスポーツ
1970年代後半にはプロバレーボールリーグ「IVA」でバレーボールもプレイし、モータースポーツ、ボクシングにも出場した。1966年にはカンザスシティ・チーフスからフットボール選手として参加を要請された。
[編集] 引退後
1973年に引退。同じ年、当時NBAのライバルリーグだったABAのサンディエゴ・コンキスタドアーズの監督を1年間務めている。
様々なスポーツやビジネスに取り組み、1984年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPart2」(Conan the Destroyer)に出演している。
1991年に出版した自伝で、チェンバレンは2万人の女性と性的関係を持ったと述べている。この数字自体は現実的ではないが、当時はマジック・ジョンソンがエイズ感染を理由に引退した時期でもあり、その軽率さを批判する声もあった。
引退後、50代になってもなおチェンバレン復帰の噂が上がることがたまにあり、本人もプレイできると豪語していた。
1999年10月12日、自宅で睡眠中不意に心臓発作に襲われ急逝した。63歳だった。
[編集] 外部リンク
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