ファイブフォックス
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-60-7 |
設立 | 1976年12月8日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 婦人服、紳士服、子供服、宝飾、生活雑貨などの企画製造卸小売業 |
資本金 | 7,750万円 |
売上高 | 1,679億円(2005年10月期末現在) |
従業員数 | 6,234名([2005年][10月]期末現在) |
株式会社ファイブフォックス(英文表記:FIVE FOXes Co.,ltd.)は、コムサ・デ・モードで知られるアパレルメーカー。単体では国内最大手。また、自社の公式ホームページを持たないことでも有名であったが、求人募集サイトとして公開された。(2007年3月現在)
目次 |
[編集] 概要
1980年代のDCブランドブームで一世を風靡、のちにSPA化へ転向。1990年代のモード全盛期に躍進。かつてのアパレル業界は、芸術志向の風土が強く、感性と経験則に頼った経営や顧客無視の販売姿勢が横行していたが、ファイブフォックスでは企業的な手法による商品開発・数値的管理・徹底教育の仕組みを取り入れて成果を上げ、こうした取り組みは大手他社へも波及し業界の近代化を先導した。とりわけ商業色の強いSPAの台頭は、流行の主導権がデザイナーではなく消費者に移行し、各々の編集力を楽しめるストリート系や裏原系が開花した。IT化は商品管理などでの必要最小限にとどめ、あくまで人間的な知覚や感度を重んじ、ホームページも開設されていない。
デザインは黒を基調とし落ち着きのある「モード」を志向。その真髄には日本的美意識と西洋が融合した理想形はストイックなモードであるとの信念がある。「笑顔」「挨拶」「おたたみ」は店員に必ず課せられる業務である。 企業の社会貢献という面においては、本社周辺地区の地域清掃を行うなど徹底した「もてなしの心」を実践している。 近年では、商圏の郊外化ならびに低価格化に応じたコムサイズムを大成功させたことで不動の地位を完成させた。
[編集] 沿革
- 1976年12月8日 - 会社設立。コムサ・デ・モード発足
- 1978年 - 札幌にて直営1号店営業開始
- 1981年 - コムサ・デ・モード・メン発足、ペイトンプレイス発足
- 1983年 - コムサ・デ・モード・フィユ(子供服)発足
- 1985年 - ペイトンプレイスフォーメン(PPFM)発足
- 1987年 - コムサ・デ・モード・シャリテ(宝飾)発足
- 1989年 - バジーレ28(レディス)発足
- 1993年 - コムサイズム発足
- 1995年 - アンフォンテーヌ独占輸入販売
- 1995年 - 株式会社イーストポイント(現 株式会社イーストボーイ) グループ脱退
- 1996年 - ギャバジン K.T(レディス)発足
- 1997年 - コムサ・コレクション(メンズ)発足
- 1998年 - コムサ・ボーイズ(レディス)発足
- 1999年 - モノコムサ発足、ボナ・ジョルナータ(レディス)発足、パトリックコックスワナビー発足
- 2000年 - コムサストア開設
- 2000年 - 株式会社イーストポイント(現 株式会社イーストボーイ)グループ復帰
- 2001年 - ボナ・ジョルナータ(メンズ)発足、スリーミニッツハピネス発足、コムサ・コミューン発足、コムサモデルズ(レディス)発足
- 2002年 - コムサ・ボーイズ・プレティーン(子供服)発足、複合店シアター・コムサを札幌に開設、アルチザン発足、コムサ・マーケット(セレクトショップ)発足
- 2004年 - コムサ・モデルズ・メン発足
- 2005年 - PPFM2(レディス)発足、パープル&イエロー(レディス・メンズ)発足、パトリックコックスワナビー提携終了、プリッグス(紳士服)発足
- 2006年 - タカラトミーとの提携によるJOUJOU(玩具)発足、CCM発足
- 2006年3月6日 -CCMの1号店を熊本市の鶴屋百貨店に出店。
[編集] ブランド
[編集] コムサ・デ・モード (COMME CA DU MODE)
基幹ブランド。商業的に開発されたブランドであり、デザイナーを非公開にしていることが多い。単品の個性を主張するのではなく、トータル・コーディネート(調和)を重視。黒髪の日本人に合う服=モード。その点では実用的な要件を満たしつつ、おしゃれが楽しめるブランドであろう。コムサ・ラインナップの中で最高峰に位置づけられるコムサ・コレクションについては、デザイナー発の創作性を目指し作品発表などの活動を認める。
[編集] コムサイズム (COMME CA ISM)
商圏の郊外化、百貨店の集客力低下、ショッピングセンターの台頭、ユニクロなどに代表される価格破壊、団塊ジュニア世代は結婚を迎え「パパ・ママ」化によるヤングファミリーの出現など、2000年代の社会的な構造変化を反映した特筆すべきブランドである。まだバブル経済の余韻を残し、その後の深刻な不況を予測しえなかった1993年の発足は先見の明があった。コムサイズムでは、極めて手頃な価格設定で、生活圏へも出店可能、対象を「家族みんな」として量販店モデルに近づけながらも、イメージを損なわない適度なブランド価値を維持。大人から幼児服まで扱い、ベビーカーを引いたママも負担なく入店できる店舗レイアウト。さらに張り付き接客の禁止、あらゆる商品の返品も可能。これらは高級感・希少性を謳い、高額販売を維持してきたブランドビジネスの常識を全く覆すものであった。従来空白であったゾーンを一気に開拓し、時代の要件にもマッチしたことで、コムサイズムは大成功の業態に成長した。上品な子供服で圧倒的な人気。現在、同社では利益の半分程度をイズム業態が稼ぎ出すと見られる。他社もこのカテゴリに追随しようとしたが、いずれも失敗に終わった。また、従来のライン・ヒエラルキーに変化が生じ、第二の廉価ライン「ボナ・ジョルナータ」は名称変更によりコムサブランド排除に踏み切った。
[編集] CCM
コムサイズムの派生ブランドとして2006年発足。このブランドの1号店は、東京に出店せずに九州地方にある、熊本県熊本市の鶴屋百貨店に出店。その他、佐賀県佐賀市のゆめタウン佐賀にも出店している。
[編集] コムサ・コレクション(COMME CA COLLECTION)
コムサ・デ・モードのメンズブランドであるコムサ・デ・モード・メンの上位ブランド。デザイナーは伊藤健治。東京コレクションにも参加している。生地や縫製や服が成すシルエットにも拘っており、その分価格も高めに設定されている。中でも特にデザイナーの創作性を打ち出したブランドにケンジイトウ・コムサ・コレクション(KENJI ITO COMME CA COLLECTION)がある。
[編集] アルチザン(ARTISAN)
コムサ・デ・モードの上位ブランド。創作性を打ち出しているコムサ・コレクションとは対極に、モノトーンを基調としたシンプルなデザインに特化し、純粋に上質なブランドとして位置づけられている。生地もそれに合わせて上質なものを選び、縫製も職人の手作業によるところが多いため、価格は際立って高い。
[編集] プリッグス(PRIGS)
コムサデモードとは大きく趣を異にするブランドであり、大人の男のセクシーさを前面に打ち出している。服の単品一つ一つで個性を主張する。ブランドのモチーフは薔薇の花。生地や縫製にも拘っており価格も高めとなっている。
[編集] ペイトンプレイスフォーメン(PPFM)
ストリートを意識しつつも個性を強調する若者向けのブランド。価格は低めに抑えられている。
[編集] スリーミニッツハピネス(Three Minutes Happiness)
“安いけどおしゃれ”がコンセプトの雑貨ブランド。 文字通り、低価格で洒落た商品を取り揃える。ちなみに雑貨だけでなく、衣料品も取り扱う。 また、スリーミニッツハピネスのキャリーバックはあまりに有名。
[編集] デザイナー
- 高瀬清子 - KTブランドのデザイナー。株式会社ファイブフォックス副社長。
- 坂口徹 - テツ・コムサ・デ・モードのデザイナー。しかし、退社している。
- 伊藤健治 - コムサ・コレクション及びケンジイトウ・コムサ・コレクションのデザイナー。
[編集] その他
- ファイブフォックスの1ブランドである、「コムサ・コムサ・コムサ」の名称を「BUONA GIORNATA(イタリア語で「よい一日を」の意)」に変更。
- 似た名前のブランド、コム・デ・ギャルソンとはまったく無関係である。
- イズムの店内のBGMにはよくビートルズの作品が使用される。(社長の方針による)
- ほとんどの男性の店員はコムサ製のスーツを着用している。
- 愛国心がとても強く、デザインも日本の美を基調としたものが多い。
[編集] 外部リンク
- 株式会社ファイブフォックス採用情報
- カフェコムサ
- 株式会社味岡 - 革小物類ライセンス製造
- カネ美食品(コムサ・デリ)
- EASTBOY - スクールスタイルを提案。方向性が重複するコムサ・ボーイズは廃止。
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