フジヤマケンザン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1988年4月17日 |
死没 | - |
父 | ラッキーキャスト |
母 | ワカスズラン |
生産 | 吉田牧場 |
生国 | 日本(北海道早来町) |
馬主 | 藤本龍也 |
調教師 | 戸山為夫(栗東) → 森秀行(栗東) |
競走成績 | 34戦11勝 |
獲得賞金 | 5億1170万5000円 |
フジヤマケンザン(香港での表記は「富士山」)は日本の競走馬。1995年にハクチカラ以来の2度目となる日本調教馬による外国の重賞制覇を達成した。1995年度最優秀父内国産馬。二冠馬ミホノブルボンなど、スパルタ調教で知られる戸山為夫調教師の管理馬であったが、1993年に戸山が病死した後は森秀行調教師が管理を引き継いだ。父のラッキーキャストは重賞勝ちこそないものの、半姉には天皇賞を逃げ切ったプリテイキャストがおり、祖母のオキワカはテンポイントの半姉で、母のワカスズランの兄弟にはワカテンザン・ワカオライデン、という父母ともに吉田牧場ゆかりの血統である。地味な存在ながら重賞を5勝(うち香港で1勝)し、9歳で重賞を勝つなど息の長い活躍を見せた。ミホノブルボンと同様に、戸山の理念を体現した一頭と言えよう。
(年齢は旧表記)
目次 |
[編集] 戦績
[編集] 4歳
1991年1月6日にデビューし、5着だった。2戦目で勝利したが骨折のため春のクラシックに出場できなかった。10月に復帰し、900万条件戦を勝利した翌週の嵐山ステークスで2着になった。菊花賞ではレオダーバンの3着と好走した。さらにこの年のジャパンカップ(8着)と有馬記念(10着)に条件馬ながら出走した。
[編集] 5歳
1992年に中日新聞杯で初めて重賞を制覇した。他にもオープン特別のディセンバーステークスなど合計3勝した。
[編集] 6歳
1993年、調教師の戸山の死去に伴い鶴留厩舎へ転厩した。夏の関屋記念で2着、函館記念で4着した後、戸山の調教助手であった森秀行厩舎へ転厩した。天皇賞、マイルチャンピオンシップなどに出走したが勝利することはできなかった。
[編集] 7歳
1994年はオープン特別では2勝、GIIでは3戦して全て2着と好走したが、GIでは9着・11着・9着と惨敗だった。また、12月には香港の沙田競馬場で国際GII/香港GIの香港国際カップ(後の香港カップ、国際GI)に出走し4着と好走した。
[編集] 8歳
8歳になって本格化した。初戦の中山記念を制すると、4月に2度目の香港遠征を行いクイーンエリザベス2世カップで10着に敗れたが、夏には七夕賞で優勝した。その後、オープン特別の富士ステークスにも勝って、再び香港国際カップに出走。レースではヴェンティクアトロフォグリを交わし、ハクチカラ以来36年ぶりに日本調教馬による外国の重賞制覇を成し遂げた。この年のJRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。
[編集] 9歳
9歳になっても金鯱賞に勝つなどの活躍を見せたが、宝塚記念5着後に骨折が判明し引退した。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬入りしたが、既に種牡馬としても引退した(2005年時点)。現在は北海道・安平町にある生まれ故郷の吉田牧場で、(社)日本競走馬協会の引退名馬けい養展示事業助成対象馬として余生を送っている。
フジヤマケンザンの血統 (トウルビヨン系/Count Fleet5×5=6.25%) | |||
父
ラッキーキャスト 1979 鹿毛 |
*マイスワロー My Swallow 1968 鹿毛 |
Le Levanstell | Le Lavandou |
Stella's Sister | |||
Darrigle | Vilmoray | ||
Dollar Help | |||
*タイプキャスト Typecast 1966 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Journalette | Summer Tan | ||
Manzana | |||
母
ワカスズラン 1982 鹿毛 |
*コントライト Contrite 1968 鹿毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Penitence | Petition | ||
Bootless | |||
オキワカ 1972 栗毛 |
*リマンド | Alcide | |
Admonish | |||
ワカクモ | *カバーラップ二世 | ||
丘高 F-No.3 |