フランク・カールッチ
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フランク・チャールズ・カールッチ3世(Frank Charles Carlucci III、1930年10月18日~ )は、アメリカ合衆国の政治家。レーガン政権末期の1987年から1989年まで、アメリカ合衆国国防長官を務めた。
[編集] 人物
1930年10月18日ペンシルヴェニア州スクラトンに生まれる。1952年プリンストン大学を卒業する。同年海軍に志願し2年間将校として軍務に就く。1954年ハーバート・ビジネス・スクールを修了する。その後、外交公務員となり、1956年から国務省に入省する。1961年 アメリカ中央情報局(CIA)のコンゴ(旧ザイール)でのアメリカ市民を救出するミッションに関与している。
1970年代初めにプリンストン大学に籍を置き、そこで後の国防長官となるドナルド・ラムズフェルド、キャスパー・ワインバーガーとは同窓であった。ニクソン政権が成立すると、ワインバーガー厚生・教育・福祉長官の下で次官を務めた。1974年駐在ポルトガル大使に任命され、1977年まで赴任した。1978年CIA副長官を経て、1981年国防副長官に就任する。1986年国家安全保障担当大統領補佐官として大統領府に入る。1987年ワインバーガーの国防長官辞任に伴い、後任の国防長官に就任する。カールッチの国防長官就任に当たっては、連邦議会上院は、賛成91票反対票1票の圧倒的多数で承認された。国防長官としては、前任者のワインバーガーと比較してソビエト連邦に対しては、それほど強硬路線を取らなかったとされる。
カールッチは、個人向けエクイティファンド・カーライル・グループの名誉会長を務めている他、ゼネラル・ダイナミックス、ウェスティングハウス・エレクトリック、アシュランド石油、ノイローゲン Neurogen、CBコマーシャル・リアル・エスターテ CB Commercial Real Estate、ノーテル・ネットワーク、BDMインターナショナル、クォータ・オーツ社、カマン社などの企業の経営に加わっている。また、個人向け保安会社ヴァッケンフート(ワッケンフット)社の重役であった。また、やくざの親分であるハロルド・オキモトと長い間仕事をともにしたと伝えられる。この他、G2サテライト・ソリューションの諮問委員、米台商業協会w:US-Taiwan Business Council会長を務めている。
カールッチは、保守系(または、ネオコン系)シンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)の会員である。また、中東政策評議会、ランド研究所などのシンクタンクにも参加している。
2006年1月5日ホワイトハウスで行われたブッシュ政権の外交政策に関する会議に歴代の国務長官、国防長官経験者の一人として参加している。
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