フランコ・コレッリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
フランコ・コレッリ(Franco Corelli, 1921年4月8日 - 2003年10月29日)はイタリアのテノール歌手。劇的表現に適したスピント系の美声、力感あふれる歌唱、輝かしい高音で知られ、激発性をも含んだ情熱、悲劇性の表現に秀でて高い人気を誇った名テノール。舞台映えする長身の美男歌手としても著名であった。
アンコーナに生まれ、ペサロの音楽院で学ぶ。造船会社で会社員生活も送ったが、1951年フィレンツェ5月音楽祭声楽コンクールで優勝、同年スポレートのテアトロ・ヌオーヴォで『カルメン』のドン・ホセを歌ってデビューを飾る。1954年にはミラノ・スカラ座でマリア・カラスとスポンティーニ作曲『ヴェスタの巫女』で共演して好評を得、スターの地位を確立。1961年にはニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場にマンリーコ(ヴェルディ『トロヴァトーレ』)でデビューし、以後275回の出演を数える。独特の粘った歌い口、あくの強い表情づけが好悪を分けた面もあったが、ロンドン、パリ、ベルリン、ミュンヘン、ヴィーンなどでも活躍。1971年と1973年の2回来日してリサイタルも開いている。声量、声質ともまだ十分に第一線級のテノールであった1976年に引退。一説には舞台恐怖症が原因という。
デル=モナコ、ディ・ステファーノに次ぐ世代を代表するスターの1人で、マンリーコやカラフ(プッチーニ『トゥーランドット』)等を特に得意とした。他のレパートリーは、カヴァラドッシ(プッチーニ『トスカ』)、ドン・アルヴァーロ(ヴェルディ『運命の力』)、ラダメス(ヴェルディ『アイーダ』)、エルナーニ(ヴェルディ作曲同名作)など。また、ヴェリズモ・オペラでもカニオ(レオンカヴァッロ『道化師』)、アンドレア・シェニエ(ジョルダーノ作曲同名作)、トゥリッドゥ(マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』)、マウリツィオ(チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』)等を得意にし、同世代を代表するヴェリズモ・テノールとしても活躍。60年代にはやや軽やかな声質に傾斜(年月につれ声が重くなる変化が一般的だが、コレッリの場合は逆であった)し、ロドルフォ(プッチーニ『ラ・ボエーム』)や、フランス・オペラではファウスト(グノー『ファウスト』)等にも挑戦。得意とした役の多くを録音している。
2003年10月死去。正確な死因は明らかにされていない。