フランス民主連合
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フランス民主連合(フランスみんしゅれんごう、Union pour la Démocratie Française)とはフランス共和国の政党である。略称はUDF。党首は、フランソワ・バイル。
1978年にフランスの大統領であったジスカールデスタンが党首を務める共和党を中心に、社会民主中道派や急進党など非ドゴール派・中道左派によって結成された。結成当初は緩やかな政党連合であったが、次第に単一政党としての性格を強めていった。
1998年に共和党が自由民主党と改称して離脱、2002年にも国民運動連合誕生の際に多くの党員が離脱するなど、党勢は大きく後退している。
[編集] 共和党
共和党(きょうわとう)は、1962年に発足した独立共和派(正式名称・独立共和主義者全国連盟)を中心とし、中小の政党を吸収して1977年に誕生した政党である。掲げる政策はド・ゴール派に比べて融和的で、内政的には社会保障の充実や自由経済の推進、外交的には対ヨーロッパ協調・対米協調を基調とする。かつて所属したUDF内部の諸政党の中ではもっとも急進自由主義的であり、第1次コアビタシオンの時には、 ジャック・シラク首相が国防相に推薦したフランソワ・レオタール共和党党首がフランソワ・ミッテラン大統領に拒否され、格下の文化相に変更させられた事もあった。
[編集] 社会民主中道派
社会民主中道派(しゃかいみんしゅちゅうどうは)は、1966年に誕生した民主中道派と1969年に誕生した民主進歩中道派が1976年に合併して誕生した政党である。
[編集] 急進党
正式名称を共和主義急進派・急進社会党(きょうわしゅぎきゅうしんは・きゅうしんしゃかいとう)といい、急進社会党ともよばれている。1901年に「猛虎」とあだ名されたジョルジュ・クレマンソーによって結党され誕生した急進的な共和政党。党名から社会主義政党と考えられがちだが、実態は中南部の農民層を支持基盤とする中道政党である。第3共和制下では中心的な政党として君臨し、1905年に政教分離法を成立させローマ・カトリックの影響を政治介入から排除、社会党・共産党を中心とした人民戦線内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。 戦後の第4共和政化では勢力が著しく後退するが、他の中道諸政党を糾合し中心指導勢力として国民議会内部での統一会派「共和派左翼戦線」を結成。ピエール・マンデス・フランス政権を誕生させ第4共和制の負の遺産の清算に挑戦するも、保守ド・ゴール派の隆盛とアルジェリア紛争の泥沼化により影響力を失う。第5共和制下でド・ゴール派を中心とした右派、社会党・共産党の左派に二極化が進むと、急進党内部でも左右両派の対立が激化、1971年に左派が急進党を離党し同党の影響力は低下した。