ブロワ朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブロワ朝はイングランド王朝のひとつである。歴史書によっては、ノルマン朝の一部とすることもある。また、この時代の混乱ぶりから無政府時代(The Anarchy)と表現される事もある。
ブロワ朝は、唯一の国王スティーブンがフランスのブロワ伯エティエンヌの子で、ブロワで生まれたことに由来する。スティーブンの母は、征服王ウィリアム1世の娘であり、女性相続人を認めないフランク王国(ノルマン王家がフランク王国の流れを汲むフランス王国の家臣ノルマンディー公でもあることに注意)のサリカ法典を利用して、国王に即位した。
スティーブンはマティルダを推す反対派との間で激しく争ったが、嫡男を失って王位継承者を持たなくなってしまったために、ブロワ朝の1代での断絶が確実となった。このため、スティーブン派とマティルダ派が妥協してマティルダの子アンリ(後のヘンリー2世)を後継者に指名する事でスティーブンのイングランド国王即位が内外に認められることになった。
なお、スティーブンは、ノルマンディー公も兼ねていたが、1144年にガティネ家のジョフロワ4世(マティルダの夫)に奪われている。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | イングランドの君主 | イングランドの歴史