イギリス君主一覧
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ここでは、現在のイギリスにつながるグレートブリテン島の各地を支配した以下の君主を対象とする。
- 1707年までのスコットランドの王たち
- 1707年までのイングランドの王たち
- 13世紀末にイングランドが征服する以前にウェールズの各地方を支配した君主たち
- 1707年にイングランドとスコットランドが合邦して以降のグレートブリテン王国の王たち
- 1801年以降のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の王たち
- 1922年にアイルランド自由国が連合王国から分離して以降のグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(現在のイギリス)の王たち
目次 |
[編集] スコットランド王国
[編集] 王国以前
843年、ダルリアダ王国のスコット人王ケネス・マカルピンがオールバ王国の王を兼ねる。当初は現在のスコットランドの北部に建国したオールバ王国は次第に南下して領域を拡大し、スコットランド全域を支配するに至る。
[編集] アルピン朝
- ケネス1世(マカルピン、839年 - 859年)
- ドナルド1世(859年 - 863年)ケネス1世の弟
- コンスタンティン1世(863年 - 877年)ケネス1世の息子
- エイ(877年 - 878年)コンスタンティン2世の弟
- ヨーカ(878年 - 889年)コンスタンティン2世の孫
- ドナルド2世(889年 - 900年)コンスタンティン2世の息子
- コンスタンティン2世(900年 - 942年)エイの息子
- マルカム1世(942年 - 954年)ドナルド2世の息子
- インダルフ(954年 - 962年)コンスタンティン3世の息子
- ダフ(962年 - 967年)マルカム1世の息子
- カリン(967年 - 971年)インダルフの息子
- ケネス2世(971年 - 995年)ダフの弟
- コンスタンティン3世(995年 - 997年)カリンの息子
- ケネス3世(997年 - 1005年)ダフの息子
- マルカム2世(1005年 - 1034年)ケネス2世の息子
[編集] アサル朝
[編集] アルピン朝(マリ朝)
[編集] アサル朝
- マルカム3世(大頭王、1058年 - 1093年)ダンカン1世の息子
- ドナルド3世(1093年 - 1094年)マルカム3世の弟
- ダンカン2世(1094年)マルカム3世の息子
- ドナルド3世 (復位、1094年 - 1097年)
- エドマンド (ドナルド3世との共同統治、1094年 - 1097年) マルカム3世の息子
- エドガー(1097年 - 1107年)エドマンドの弟
- アレグザンダー1世(1107年 - 1124年)エドガーの弟
- デイヴィッド1世(1124年 - 1153年)アレグザンダー1世の弟
- マルカム4世(1153年 - 1165年)デイヴィッド1世の孫
- ウィリアム1世(獅子王、1165年 - 1214年)マルカム4世の弟
- アレグザンダー2世(1214年 - 1249年)ウィリアム1世の息子
- アレグザンダー3世(1249年 - 1286年)アレグザンダー2世の息子
- マーガレット(メイド・オブ・ノルウェー、1286年 - 1290年)アレグザンダー3世の孫娘
[編集] ベイリャル朝
1296年より1306年まで空位
[編集] ブルース朝
[編集] ベイリャル朝
[編集] ブルース朝
[編集] ステュアート朝
- ロバート2世(1371年 - 1390年)ロバート1世の孫
- ロバート3世(1390年 - 1406年)ロバート2世の息子
- ジェームズ1世(1406年 - 1437年)ロバート3世の息子
- ジェームズ2世(1437年 - 1460年)ジェームズ1世の息子
- ジェームズ3世(1460年 - 1488年)ジェームズ2世の息子
- ジェームズ4世(1488年 - 1513年)ジェームズ3世の息子
- ジェームズ5世(1513年 - 1542年)ジェームズ4世の息子
- メアリー1世(1542年 - 1567年)ジェームズ5世の娘
- ヘンリー・ステュアート(共治国王:1565年 – 1567年)メアリーの夫、従弟、ダーンリー卿
- ジェームズ6世(1567年 - 1625年)メアリーの息子
1603年よりイングランド王国とは同君連合。
- チャールズ1世(1625年 - 1649年)ジェームズ6世の息子
- チャールズ2世(1660年 - 1685年)チャールズ1世の息子
- ジェームズ7世(1685年 - 1688年)チャールズ1世の息子
- メアリー2世(1689年 - 1694年)ジェームズ2世の娘
- ウィリアム2世(1689年 - 1702年、1694年までメアリー2世と共同統治)メアリー2世の夫、チャールズ1世の孫、オラニエ公、オランダ総督
- ※通常ステュアート朝の王の1人と見なされるが、ウィリアム2世1代を「オレンジ朝」とする見方もある。
1707年にイングランド王国と合同。
[編集] ウェールズ
13世紀末にイングランドに征服される以前のウェールズには、デバイパース、ポウィス、グウィネズなどの小王国があった。ウェールズの君主も参照のこと。
[編集] グウィネズ
- グリフィズ・アプ・カナン(1075年 - 1137年)
- オーウェン・グウィネズ(1137年 - 1170年)グリフィズの息子
- オーウェン・グウィネズの3子による分割支配
- ルウェリン・アプ・ヨーワース(大ルウェリン、1194年 - 1240年)オーウェンの孫
- ダフィズ・アプ・ルウェリン(1240年 - 1246年)ルウェリンの息子
- ルウェリン・アプ・グリフィズ(ルウェリン・ザ・ラスト、1246年 - 1282年)大ルウェリンの孫
- ダフィズ・アプ・グリフィズ(1283年没)ルウェリン・ザ・ラストの兄弟
ルウェリン・アプ・グリフィズはウェールズの諸侯を従えてウェールズ大公を名乗るが、敗死。デイヴィットが継承者を主張するがイングランド軍に捕らえられて処刑された。
[編集] ウェールズ公
- ルウェリン・アプ・グリフィズ(1267年公認 - 1282年)
以後は、イングランド王国、グレートブリテン王国、連合王国の第一王位継承者がプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)の称号を持つ。
[編集] イングランド王国
[編集] 七王国
[編集] ブレトワルダ
七王国時代に、諸王の間で台頭して他の王たちを臣従させた王をブレトワルダ(覇王)と呼ぶ。
- サセックス王アエレ(477年 - 514年)
- ウェセックス王セルディック(519年 - 534年)
- ウェセックス王ツェアウリン(560年 - 591年)
- ウェセックス王イネ(688年 - 727年)
- ケント王エゼルベルト(591年 - 616年)
- イーストアングリア王レドワルド(616年 - 627年)
- ノーザンブリア王エドウィン(627年 - 632年)
- ノーザンブリア王オズワルド(633年 - 641年)
- ノーザンブリア王オズウィ(641年 - 670年)
- マーシア王エゼルバルド(735年 - 757年)
- マーシア王オファ(757年 - 796年)エゼルバルドの従兄弟
- ウェセックス王エグバート(829年 - 839年)
- ウェセックス王エゼルウルフ(839年 - 855年)エグバートの息子
- ウェセックス王エゼルバルド(855年 - 860年)エゼルウルフの息子
- ウェセックス王エゼルバート(860年 - 866年)エゼルウルフの息子
- ウェセックス王エゼルレッド(866年 - 871年)エゼルウルフの息子
9世紀半ばのデーン人の侵入後、諸王国間で覇権を確立したウェセックス王がデーン人と戦い、次第に統一イングランド王国を形成していった。
[編集] サクソン人王
- アルフレッド大王(871年 - 899年)ウェセックス王エゼルウルフの息子
- エドワード長兄王(899年 - 924年)アルフレッドの息子
- アゼルスタン(924年 - 939年)エドワードの息子
- エドモンド1世(939年 - 946年)エドワードの息子
- エドレッド(946年 - 954年)エドワードの息子
- エドウィ(955年 - 959年)エドマンドの息子
- エドガー(平和王、959年 - 975年)エドマンドの息子
- エドワード殉教王(975年 - 978年)エドガーの息子
- エゼルレッド2世(無思慮王、978年 - 1013年)エドガーの息子
1013年、デンマーク王スヴェンが侵攻してきたため、エゼルレッド2世はノルマンディーに亡命。
スヴェンの病死後、エゼルレッドはイングランドに帰国して復位する。
[編集] デーン人王(北海帝国)
[編集] サクソン人王
1066年、ノルマンディー公ギョーム2世が、エドワード懺悔王の後継者を宣言してノルマン・コンクエストを起こし、ハロルド2世を倒してイングランド王に即位する。
[編集] ノルマン朝
[編集] ブロワ朝
[編集] プランタジネット朝(アンジュー朝)
- ヘンリー2世(1154年 - 1189年)ヘンリー1世の外孫
- リチャード1世(獅子心王、1189年 - 1199年)ヘンリー2世の息子
- ジョン(欠地王、1199年 - 1216年)ヘンリー2世の息子
- ヘンリー3世(1216年 - 1272年)ジョンの息子
- エドワード1世(長脛王、長足王1272年 - 1307年)ヘンリー3世の息子
- エドワード2世(1307年 - 1327年)エドワード1世の息子
[編集] ランカスター朝
- ヘンリー4世(1399年 - 1413年)エドワード3世の子ランカスター公ジョンの息子
- ヘンリー5世(1413年 - 1422年)ヘンリー4世の子
- ヘンリー6世(1422年 - 1461年、1470年 - 1471年)ヘンリー5世の子
1455年よりランカスター家とヨーク家の王位争い、薔薇戦争に突入。ヘンリー6世は1470年亡命先から帰国するも翌年殺害された。
[編集] ヨーク朝
- エドワード4世(1461年 - 1470年、1471年 - 1483年)エドワード3世の曾孫ヨーク公リチャードの子
- エドワード5世(1483年)エドワード4世の子
- リチャード3世(1483年 - 1485年)エドワード4世の弟
リチャード3世は1485年のボズワースの戦いで敗死。
[編集] テューダー朝
- ヘンリー7世(1485年 - 1509年)母の曽祖父がランカスター公ジョン、エドワード4世の娘と結婚。
- ヘンリー8世(1509年 - 1547年)ヘンリー7世の息子
- エドワード6世(1547年 - 1553年)ヘンリー8世の息子
- ジェーン・グレイ(1553年)ヘンリー7世の娘の孫。
- メアリー1世(1553年 - 1558年)ヘンリー8世の娘
- エリザベス1世(1558年 - 1603年)ヘンリー8世の娘
[編集] ステュアート朝
[編集] 共和制と護国卿
チャールズ1世は清教徒革命で処刑されるが、1660年に王政復古する。しかし、その間に2人が護国卿となった。
- オリヴァー・クロムウェル(1653年 - 1658年)
- リチャード・クロムウェル(1658年 - 1659年)
[編集] 復興ステュアート朝
- チャールズ2世(1660年 - 1685年)チャールズ1世の息子
- ジェームズ2世(1685年 - 1688年)チャールズ1世の息子
- メアリー2世(1689年 - 1694年)ジェームズ2世の長女
- ウィリアム3世 (1689年 - 1702年、1694年までメアリー2世と共同統治)メアリー2世の夫、チャールズ1世の孫、オラニエ公、オランダ総督
- ※通常ステュアート朝の王の1人と見なされるが、ウィリアム3世1代を「オレンジ朝」とする見方もある。
1707年、スコットランド王国と合同。
[編集] グレートブリテン王国
1707年、イングランド王国とスコットランド王国が合同して、グレートブリテン王国が誕生した。
[編集] ステュアート朝
[編集] ハノーヴァー朝
- ジョージ1世(1714年 - 1727年)ジェームズ1世の曾孫、ハノーファー選帝侯
- ジョージ2世(1727年 - 1760年)ジョージ1世の息子、ハノーファー選帝侯
- ジョージ3世(1760年 - 1800年)ジョージ2世の孫、ハノーファー選帝侯
[編集] グレートブリテンおよびアイルランド連合王国
1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合同し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が誕生した。
[編集] ハノーヴァー朝
- ジョージ3世(1801年 - 1820年)ハノーファー選帝侯、のちハノーファー王
- ジョージ4世(1820年 - 1830年)ジョージ3世の長男、ハノーファー王
- ウィリアム4世(1830年 - 1837年)ジョージ3世の三男、ハノーファー王
- ヴィクトリア(1837年 - 1901年)ジョージ3世の四男エドワードの長女
[編集] サクス=コバーグ=ゴータ朝
[編集] ウィンザー朝
1917年、第一次世界大戦の敵国ドイツ風の名前を嫌い、ウィンザー家と改称。
[編集] グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
1922年、アイルランド南部26州がアイルランド自由国として独立したため、1927年に国名をグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国と改称。
[編集] ウィンザー朝
- ジョージ5世(1917年 - 1936年)
- エドワード8世(1936年)ジョージ5世の長男
- ジョージ6世(1936年 - 1952年)ジョージ5世の次男
- エリザベス2世(1952年 - )ジョージ6世の長女