マヌーチェフル・モッタキー
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マヌーチェフル・モッタキー(1953年 -)は、イランの政治家で外交官。駐日本特命全権大使を歴任している。大統領のマフムード・アフマディーネジャードによる推薦を受け、2005年8月24日、イラン外相に就任した。
1980年、第1期マジュレセ(議会)代議員に選出された。1984年から外交官。
- 1984年-1985年 - 外務省第7政治局長。
- 1985年-1989年 - 駐トルコ大使。
- 1989年-1992年 - 外務省西欧部長、国際問題担当外務次官。
- 1992年-1994年 - 法務・協議・議会問題担当外務次官
- 1994年-1999年 - 駐日大使。
- 1999年-2001年 - 外相顧問。
- 2001年-2004年 - イラン・イスラム文化・宗教関係組織の副指導者。
2004年から、第7期議会代議員、議会対外政策・国家安全保障委員会委員長。
モッタキーは、核開発に関して、欧州連合諸国との交渉に厳格に反対している。以前、彼は、核問題で譲歩してはならないと表明したことがある。
[編集] パーソナル
ゴレスターン州、カスピ海沿岸の港湾都市ベンデル・ゲズ市出身。
インドのバンガロール大学の社会科学分野の学士号(1976年)、テヘラン大学の国際関係分野の学士号(1996年)を有する。英語、ウルドゥー語及びトルコ語を話す。