マリヤ・ユーディナ
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マリヤ・ユーディナ(またはマリア・ユージナ)(Maria (もしくは Mariya) Yudina, 1899年 - 1970年 モスクワ)はロシアのピアニスト。
ロシア帝国ヴィテプスク県(現プスコフ州)ネヴェリ Невель (Neveľ) に生まれる。この県はユダヤ教徒居住区の一部であったが、ベラルーシ南部のネヴェリではない。
ペトログラード音楽院にレオニード・ニコラーエフに師事。同級生にドミートリイ・ショスタコーヴィチやヴラディーミル・ソフロニツキーがいた。専らバッハやベートーヴェンの解釈で名を残すが、親友ショスタコーヴィチのほかにヒンデミットや新ウィーン楽派の作品など、東西の同時代の音楽も擁護した。スターリンがお気に入りのピアニストだったにもかかわらず、このような姿勢や、公然とロシア正教を信仰するなどの反体制的言動があだとなり、教育活動や演奏活動を禁じられたことは一度や二度ではなかった。バッハのゴルトベルク変奏曲の各変奏にテクストを書き残すなど、彼女にとっては宗教と音楽は一体の存在であった。このあたりはガリーナ・ウストヴォーリスカヤの態度とも共通項が見られる。
ユーディナの演奏は、超絶技巧と精神性、ほとんど男性的というべき力強さ、そしてそして知性と精神力が特徴的である。しかも演奏様式と音色は、実に個性的であった。原則的にはロシアン・メソッドに基づく音色ではあるがペダルによる混濁も少なく、現在の聴取者から見てもベルクのソナタ、ヒンデミットのソナタ第三番、クシェネックのソナタ第二番は名演とみなされている。
近年彼女の業績を称えて、小規模ではあるが「マリア・ユーディナ国際ピアノコンクール」が開催されている。
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