マルコ・アピチェラ
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F1での経歴 | |
国籍 | イタリア |
活動年数 | 1993 |
所属チーム | ジョーダン |
出走回数 | 1 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1993年イタリアGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1993年イタリアGP |
マルコ・アピチェラ(Marco Apicella, 1965年10月7日 ボローニャ -)はイタリア人のレーシングドライバー。血液型はO型。
目次 |
[編集] 経歴
1981年にレーシングカート世界選手権に参戦を開始し、1983年には選手権3位の成績を収める。翌1984年より3年間はイタリアF3選手権に参戦、最後の年となった1986年にはシリーズ2位に入る。その後1987年から1991年まで、国際F3000選手権に参戦。
[編集] 日本での活動
1992年より、全日本F3000選手権に参戦。1994年には童夢のオリジナルマシンを駆り、全日本F3000選手権のシリーズチャンピオンを獲得する。その後もカテゴリーがレギュレーションの変更などでフォーミュラ・ニッポンと生まれ変わった後も、1997年まで日本で活動。1999年にはイタリアF3000選手権へ参戦するが、翌年には再び日本へと舞い戻り、全日本GT選手権へ参戦する。
全日本GT選手権へは1997年にスポット参戦した経験があったが、本格的な活動は2000年からであった。この年はGT300クラスの参戦となったが、2001年よりJLOCのランボルギーニ・ディアブロでGT500に参戦。しかし車が悪いせいか、暫くは結果を残すことが出来なかった。2003年よりトムスに移籍し眠っている才能が爆発、度々速さを見せたが、シリーズポイントは15ptsという無惨な結果に終わってしまう。翌年は土屋武士と即戦力組で参戦。シリーズ7位と本領を発揮した。2005年から再びJLOCに戻り、ランボルギーニ・ムルシエラゴをドライブしている。
[編集] 1993年のF1スポット参戦
1993年のF1第13戦イタリアGPに、ジョーダン・ハートからスポット参戦。前戦のベルギーGPを最後にティエリー・ブーツェンがF1から引退したため、空いていたジョーダンのセカンドシートを買い取ってのものだった。
しかし、決勝のスタート直後に多重事故に巻き込まれリタイヤ。アピチェラの唯一のF1参戦は数百メートルで終了することになってしまった。
[編集] 主な戦歴
[編集] 国際F3000
[編集] 全日本F3000、フォーミュラ・ニッポン
- 1992年~1997年
[編集] イタリアF3000
- 1999年
[編集] ル・マン24時間レース
- 1995年、1999年