ミティラー美術館
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ミティラー美術館は、新潟県の北越急行ほくほく線美佐島駅より東4kmほどの魚沼丘陵の山中にある、大池という名の池のほとり、新潟県十日町市(旧)大池小学校を改築して作ったインド芸術専門の私設美術館。新潟県中越地震で大きな損害を受け、現在閉鎖している。なお、ミティラーの名は、北インドのビハール州に古代あったとされる伝説の王国の名称である。
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[編集] 展示内容
現代インド美術・絵画の類が主で、特に北インドからネパールの一部にまたがる細密画の技法、ミティラー画の影響を受けた精細な作品は見事である。絵画は写実的なものでも完全に抽象的なものでもなく、ヒンドゥー教の影響の濃い宗教上の神や、インドの圧倒的に豊かな自然を題材に、幾何学模様化され、非常に細かい線で描いたものが、多数所蔵されている。夢枕獏の小説の題名となった、「上弦の月を喰べる獅子」もその仲間である。
最近は更に、西インドの少数先住民族ワルリー族の画家の描くワルリー絵画や、立体彫刻であるテラコッタ、その他の立体彫刻作品も充実させつつある。
[編集] 特色
この美術館は私立であるため、運営がたいへんユニークである。美術品は展示だけでなく、製作の実演も行なわれ、そのため画家も含めて多数のインド人が訪れ、日印友好に一役買っていた。
また美術館自身廃校であり、古い物を捨てずに使うというエコロジー精神が徹底している。この事に象徴されるように、環境保全活動にも力を入れ、ここでは池の周りの景観がたいへん良く保たれている。なお長谷川時夫館長以下、肉製品を全く食べない。
[編集] 地震の被害
不幸にして2004年10月23日、夕方より断続的に数回、新潟県中越地震が新潟県魚沼丘陵を襲い、上記展示されていた美術品のうち、陶器製のものはほとんどが全壊、絵画も一部が落下したり、角に当ったりしてかなりの損害が生じた。幸い人的被害は無かった。
美術館となっている昔の小学校の体育館や、校舎の2階の教室いっぱいに広がるおびただしい量の美術品の残骸の復旧は、ほとんど絶望的と見られるほどひどいものであった。また以前は館員が宿直できるほど館内が整備されていたが、地震後は困難となった。水道が止まる危険が、今もあると聞く。
美術館は、元音楽バンドのタージマハール旅行団の長谷川時夫が館長をつとめるが、美術館員の蓮沼ミヨ子とサポート役の長谷川れいな、長谷川むんなの実質計4名で運営されているだけであり、美術品の修復は地震発生後1年近くたつ今もほとんど、はかどっていない。
ちなみに地震直後は、美術館へ行く道が寸断され、そこへたどり着く事自体さえ困難であった。幸い現在は、徒歩で行く場合、所々にある崖崩れに注意する必要があるが、車での通行には問題無いようである。なおこの地方は冬季、積雪量が極めて多い為、美術館は毎年雪に埋まっている。
インド政府および、破損美術品の製作者・美術家もむろん現状を危ぶんでおり、美術家は来日して現状を見ながら再製作する事を望んでいると聞く。
美術館として復旧できるかどうかは現在、以上のようにインド政府等による、物的にはもちろんそれを超えた、魂のこもった情念のような精神的援助もあるものの、かなり微妙な状況にあると考えられている。
[編集] アクセスポイント
北越急行ほくほく線美佐島駅より東、赤倉地区への舗装された山道を4kmほど行った、立正佼成会、庭野日敬生誕地道場駐車場のさらに向こう、赤倉地区入り口の池のほとり、大池弁才天の左手にある。