ユダの福音書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ユダの福音書』(ゆだのふくいんしょ)とは、キリスト教の新約聖書の外典の一つである。
ユダの福音書は、初期キリスト教父の文書[1]にてグノーシス主義異端の書として言及されていたものである。その記述によれば、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが実はイエス・キリストの弟子の中の誰よりも真理を授かっており、「裏切り」自体もイエス・キリスト自身が主導したものであるという。
目次 |
[編集] 成立年代
『ユダの福音書』は『異端反駁』(180年頃)に名を挙げられていることから2世紀には成立していたと考えられる。また、復元・解読された現存する唯一の写本(チャコス写本)はギリシア語原本からコプト語に翻訳されたものであり220-340年頃に筆写されたものと推定されている。
[編集] 現代の発見
『ユダの福音書』は、長らく上記反対者の文書からしかその存在を知り得なかった。 しかし、2006年4月のナショナルジオグラフィックの発表によると、1970年代にエジプトで発見されたパピルス冊子の解析が進み、それが『ユダの福音書』のコプト語写本断片であると分かったという。 [2] 現代語訳(英語版)、日本語版と相次いで刊行された。[3]
ユダの福音書は書かれた年代からイスカリオテのユダ本人が記したものとは考えられない。しかし、ナグ・ハマディ写本などとともにグノーシス主義を含むキリスト教初期の潮流を知る資料として注目されている。
発表までの経緯
年代 | 経緯 |
---|---|
1978 | エジプト中部のある洞窟にて盗掘者がある写本を発見。詳細な場所は不明。 |
1980 | カイロの古美術商ハンナ(仮名)に売却。のち、盗難に遭う。 |
1982 | ハンナがスイスのジュネーブにて写本を取り戻す。 |
1983 | ハンナは3人の大学研究者に対し300万ドルで購入するよう交渉。決裂する。 その3人の中にスティーブン、エメル(ドイツミュンスター大学古代パピルス文書研究者)がいた。 |
1984 | ハンナ、ニューヨークシティバンク貸金庫に写本を16年間保管する。(かなり劣化) |
1999 | 古美術商ディーラーのフリーダー・チャコスがハンナより30万ドルで写本を購入。エール大学に調査を依頼。 |
2000 | エール大学がチャコスに写本はユダの福音書であると報告。 米国の古美術商ブルース・フェリーニが写本を購入。 フェリーニは写本の一部を売却し、残りを冷凍保存する。(この処理によりさらに劣化) |
2001 | 写本の購入代金を払えずフェリーニはチャコスに写本を返却。写本はマエケナス古美術財団の所有になる。 |
2002 | スイスのジュネーブにおいてユダの福音書の復元作業を開始。 プロジェクトの主なメンバー |
2004 | フェリーニが売却し紛失させたページが発見される。 |
2006 | 復元作業が完了。全体の85パーセントが復元された。 |
[編集] 注釈
- ^ エイレナイオス『異端反駁』2世紀後半、1.31.1
- ^ 『ナショナルジオグラフィック日本版2006年5月号』 日経ナショナルジオグラフィック社
- ^ 『原典 ユダの福音書』 日経ナショナルジオグラフィック社
[編集] 関連書籍
- ヘンリック・パナス『ユダによれば 外典』小原雅俊[訳]、恒文社、1978年 ISBN 4-7704-0316-X
(ユダの福音書を想像で書いたもの。 原書はポーランド) - ニコス・カザンザキス 『キリスト最後のこころみ』 児玉操[訳]、恒文社、1982年 ISBN 4-7704-0498-0
(イエスに「裏切り」を指示されるユダ解釈。原書はギリシャ) - ハーバート・クロスニー『ユダの福音書を追え』 日経ナショナルジオグラフィック社、日経BP出版センター、2006年 ISBN 4-931450-60-1
- ルドルフ・カーサー、マーヴィン・メイヤー 『原典 ユダの福音書』 日経ナショナルジオグラフィック社、日経BP出版センター 2006年 ISBN 4-931450-61-X
- ジェイムズ・ロビンソン 『ユダの秘密 ――「裏切り者」とその「福音書」をめぐる真実』戸田聡[訳]、教文館、2007年 ISBN 978-4-7642-6661-2
- The Gospel of Judas, English and Italian Text - HTML Format
この「ユダの福音書」は、キリスト教に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル キリスト教/ウィキプロジェクト キリスト教) |