ラパッロ条約 (1922年)
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ラパロ条約(ドイツ語:Vertrag von Rapallo, ロシア語:Рапалльский договор)とは、1922年にドイツとソヴィエト・ロシアとの間で成立した条約。ラパッロ条約とも表記される。
1922年4月よりジェノヴァで開催されていた国際会議が成立の契機となった。この会議ではソヴィエト・ロシアの代表も招かれたが、帝政時代の債務(シベリア鉄道の建設など)返還をめぐってフランス代表と意見が衝突し、この会議を通じた国際的承認も得られることはなかった。
この会談の際、ともにヴェルサイユ体制から除外されていたドイツとソヴィエト・ロシアが秘密交渉を行い、4月16日にラパロ条約が成立した。これより、両国は軍事面などで連携を深め、ソ連は赤軍の訓練をドイツで行い、ドイツは航空訓練(ヴェルサイユ条約で一切の空軍を持つことをドイツは禁止されている)や、毒ガス実験の場をソ連から提供された。この両国の連携は、1933年にヒトラー政権が成立するまで続いた。
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