レオ・ドローチャー
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レオ・ドローチャー(Leo Ernest Durocher, 1905年7月27日 - 1991年10月7日)は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州出身のプロ野球選手、監督。右投右打、現役時代のポジションは内野手。
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[編集] 来歴・人物
現役時代はニューヨーク・ヤンキースなど4球団で活躍した後、1939年、33歳の若さでブルックリン・ドジャースの監督(当初は選手兼任)に就任し、3年目の1941年にはチームをナショナル・リーグ制覇に導いた。
1948年途中、ライバルチームのニューヨーク・ジャイアンツに引き抜かれると1951年にナショナル・リーグ制覇、1954年にはワールドチャンピオンに輝いた。
1955年にジャイアンツの監督を退いたが1966年にシカゴ・カブスの監督に、1972年途中にはヒューストン・アストロズの監督に就任、1973年まで監督業を務めた。1976年、太平洋クラブライオンズはドローチャーを監督に招聘、契約までこぎつけたものの直後に病気で倒れ、結局来日することはなかった。
死後1994年に、監督としてアメリカ野球殿堂入りを果たしている。
[編集] エピソード
- 現役時代、ドローチャーの所属していたシンシナティ・レッズは、1931年9月6日の対カージナルス戦において、メジャーリーグ史上でも2度しかない、隠し球による三重殺を完成させたことがある。このプレーの際ドローチャーはショートを守っていた。
- ドローチャーの生まれた1905年は日本の元号にして明治38年である。1976年当時、明治生まれの監督、コーチはすでに各球団から姿を消していた。(当時の球界最高齢は1912年(大正元年)9月1日生まれの西村正夫阪急2軍監督)
[編集] 現役通算成績
- 1637試合 打率.273(5350打数1320安打)24本塁打 467打点 31盗塁
[編集] 監督通算成績
- 3739試合2008勝1709敗22引分 勝率.540
- リーグ優勝2回、世界一1回
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- ※カッコ内は監督在任期間。