レーガノミックス
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レーガノミックス(Reaganomics)とは、レーガン大統領がとった一連の経済政策である。
[編集] 概要
レーガン大統領の一期目は前政権から受け継いだスタグフレーション状態の経済の回復が課題であった。政権はインフレと失業に注目した。レーガンの経済政策は減税による供給面からの経済刺激を主張するサプライサイド経済学に基づいた。多くの経済学者は、減税が経済を需要面から刺激することに合意する。しかしサプライサイド経済理論支持者は、彼らが言うよりはるかに大きな効果があると主張した。ジョージ・H・W・ブッシュは副大統領就任前にレーガンの経済政策を「呪術経済政策(ブードゥー・エコノミー)」と呼んだ。レーガンの政策はレーガノミックスとしてすぐに知られるようになった。激しい軍事支出の増加と並行して行われた減税は、巨額の財政赤字と累積債務の劇的な増加に結びついた。その負債はレーガンの就任時と、彼の後継者ジョージ・H・W・ブッシュが就任した時の間におよそ200%増加した。レーガンの支持者は、大統領は年間予算案を提出するが実際の支出法案承認は下院でされることに注目した。それによりレーガンの政策が負債増加の排他的な原因ではないと主張する。
一方でこの財政赤字は税収増大によってわずかに相殺された。支持者の中にはサプライサイド経済学の租税政策の成功がこの要因であると考える者がいる。
批評家は、より小さく出しゃばらない政府(小さな政府)を目指すという彼の頻繁な宣言とは裏腹に、連邦支出の水準および官僚政治の肥大化が彼の政権の間に進んだと主張している。
[編集] 展開と帰結
レーガノミックスの主軸は、減税、歳出配分転換、規制緩和とインフレ退治であった。
- 減税により、貯蓄の増加を促し投資を促進する。
- 歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカを復活させる。
- 規制を緩和し投資を促進する。
- 金融政策によりインフレ率を低下させる。
この政策群の理想的展開は、「貯蓄の増加や規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させる。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、強いアメリカが復活する。」というものである。
実際の展開は想定とはかなり異なった。1970年代末からすでに金融政策はインフレ退治に乗り出しており、政権発足時にはかなり高金利になっていた。そこに、減税と歳出拡大をセットにした大型の財政政策が発動されることになったため、高金利はいっそう拍車がかかった。この高金利は民間投資を停滞させると同時に為替レートをドル高に導いた。ドル高は、輸出減退と輸入増大をもたらしインフレ率の低下へつながった。財政赤字の増大はこのようにして民間投資の犠牲と経常赤字によってバランスされインフレーションへはつながらなかった。一方で経済成長は低迷し、失業者は1000万人を越えて戦後最悪の経済状況となった。
1982年中にはインフレ率の低下から高金利政策は解除段階に入った。1983年には景気回復が始まったが、それは減税と歳出拡大という財政政策を受けた消費の増大(乗数効果)が主因であった。なお、税率を引き下げていたためこの経済回復の最中でも歳入はそれほど増加せず、歳出拡大に伴って財政赤字が拡大した。ドル高の持続と景気回復によりさらに経常赤字が拡大した。経常赤字が貯蓄投資バランスの不均衡を受け止めたため、インフレも顕在化することは無かった。なお、レーガン政権は「アメリカ経済は復活した」として、政策の効果を主張した。
1984年には失業率の低下や景況感の回復がさらに強まったが、経常赤字のますますの拡大は日欧に莫大な経常黒字をもたらし諸外国へインフレを輸出しているとの批判を浴びることになる。
1985年秋に、プラザ合意が形成され、為替相場は一気にドル安となった。
以後のアメリカ経済は1990年代初めまで輸出増大により経常収支が修正される一方で、国内需要が低迷し財政赤字は記録的に悪化した。
1980年代を総括すると、民間投資の伸びは実質ベースで1970年代を大きく下回り、国内の生産力増大に寄与したとはいえなかった。
企業の投資資金は、高金利による株安から他の企業の買収合併へ向かい、株式ブームを生み出した。なお、株式ブームは1987年のブラックマンデーにより終了した。しかし、この株式ブームはFRBの裁量により深刻な恐慌をもたらさなかったが、このことがアメリカ経済のFRB・金融政策依存と資産経済化をもたらすことになった。
[編集] 関連項目
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