ロイ・ホワイト
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ロイ・ヒルトン・ホワイト(Roy Hilton White, 1943年12月27日 - )は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身。昭和中期から後期(1960年代-1980年代前半)のプロ野球選手。右投両打。外野手。現ニューヨーク・ヤンキース外野守備走塁コーチ。
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[編集] 来歴・人物
1966年にメジャー昇格後、ヤンキース一筋に15年間プレー。ヤンキースの主軸選手として活躍した。1980年、読売ジャイアンツに入団。勝負強いバッティングでクリーンアップを打ち、翌1981年の日本一に貢献した。1982年シーズン終了後引退。ヤンキース・スカウトを経て、2004年外野守備走塁コーチに就任した。
日米の名門球団である巨人とヤンキースの四番を務めた最初の選手でもある。その後のジェシーバーフィールドについで松井秀喜は3人目。
[編集] 1981年の日本シリーズ
1981年10月18日、日本ハムとの日本シリーズ第2戦で、巨人は7回裏終了時点で1点リードを許していた(7回裏終了時のスコアは、日本ハム1-0巨人)。
8回表2死1塁の場面で日本ハムの先発・間柴茂有投手から、ライトスタンドへ貴重な逆転の2ランホームランを打ち、巨人は対戦成績を1勝1敗のタイに持ち込む。前日サヨナラ負けを喫したチームの窮地をホワイトが救った。
[編集] 通算成績
- メジャーリーグ(ニューヨークヤンキース)成績(15年間)
- 1881試合 6653打数1803安打 本塁打160 打点758 打率 .271
- 読売ジャイアンツ成績(3年間)
- 362試合 1229打数348安打 本塁打54 打点172 打率 .283
[編集] エピソード
- なかなか渋めの二枚目であり、ヤンキース時代には映画にも数本出演している(無名時代のシルベスター・スタローンとも共演)
- 巨人在籍は3年と決して長くはなかったが謙虚で紳士的な人柄でチームメイトに敬愛され、後に巨人の助っ人外国人選手としては史上初めてOB会に招待され出席している。
[編集] 関連項目
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