ロッキータイガー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1981年5月12日 |
死没 | 存命 |
父 | ミルジョージ |
母 | ロッキーハーバ |
生産 | 松浦牧場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 児玉孝 |
調教師 | 泉孝(船橋) |
競走成績 | 地方24戦10勝 中央1戦0勝 |
獲得賞金 | 2億54万4800円 |
ロツキータイガーは日本の競走馬。南関東公営競馬で活躍し、地方所属馬としてジャパンカップでも2着した馬である。
[編集] 概要
(馬齢は旧年齢で表記)
船橋競馬場でデビュー。3歳時は5戦1勝。
4歳3戦目の雲取賞(準重賞/大井競馬場)を勝ち南関東三冠路線に名乗りを挙げるも、この年のクラシックはキングハイセイコー、ステートジャガーが強力でキングハイセイコーが二冠達成、ロツキータイガーは羽田盃3着、東京ダービー2着であった。
その年の秋はいちょう賞(準重賞/大井)を勝ち三冠最終戦の東京王冠賞へ。三冠を目指したキングハイセイコーを逆転し優勝した。4歳時7戦4勝。
古馬となった5歳も報知グランプリカップ(船橋)、金盃(大井)、ダイオライト記念、帝王賞と重賞4連勝、その後3着を2回重ね東京記念へ向かう。 東京記念ではロツキータイガーが59kg、テツノカチドキが60.5kgではあったが競り勝ってジャパンカップの出走権(地方競馬から1頭の枠)を手にした。
当時の地方所属馬が出走できる中央競馬のレースはジャパンカップと地方競馬招待のみであった。どちらも地方競馬では走る機会の少ない芝コースであり、この年の地方競馬招待はテツノカチドキが勝利していたが、ジャパンカップは外国馬が強力で中央勢でも歯が立たなかった時代である。前年にカツラギエースが人気薄ながら日本勢初勝利したものの、地方馬は2年前にダーリンググラスが出走し10着という結果で、ロツキータイガーも15頭立ての11番人気と全く人気も無かった。
レースは雨の中、当時の中央最強馬シンボリルドルフが早めに抜け出し勝負を決め、2着争いが注目されるなか追い込んで来たのはロツキータイガーであった。桑島孝春騎手の地方競馬独特の騎乗スタイルは印象的(風車ムチ)で、地方競馬ファンにとって誇りであり、中央競馬ファンもその健闘を称えた。
しかしロツキータイガーがずば抜けた地方の最強馬という訳でもなく、テツノカチドキは前述のように中央でも勝っていたし、ステートジャガーは中央に移籍して活躍、さらには地方競馬を渡り歩き南関東でも活躍したカウンテスアップなどライバルに恵まれ、中央との交流は少なかったものの格差は小さい時代であった。
ジャパンカップ後のロツキータイガーは暮れの東京大賞典に出走しスズユウの2着に敗れる。この年9戦5勝。 翌年の6歳時は4戦して未勝利に終わり引退。種牡馬となったが活躍馬は出せず種牡馬も引退、現在は生まれ故郷で余生を送っている。
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