ヴァルター・ギーゼキング
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ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895年11月5日 - 1956年10月26日)は、ドイツのピアニスト、アマチュアの蝶類研究者。世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」という特技をトレードマークにした。
[編集] 経歴
フランスはリヨンに生まれる。ハノーファーの音楽学校に在籍したのを除けば、ピアノはほとんど独学だった。第二次世界大戦中はドイツにとどまったため、ナチ協力者との嫌疑をまぬかれることができなかった。このため、連合国側によって疑いが晴らされるまで、多くの演奏会がキャンセルされた。ロンドンに客死。自伝「かくて我はピアニストとなれリSo wurde ich Pianist 」は、1963年に出版されている。
ギーゼキングは本能的で直感的なピアニストであると言われ、自ら意識して練習したことはなかったとも言い伝えられている。譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのが常であった。ひとたび楽譜に夢中になると、何時間も黙りこくって過ごす習慣があり、そのため夫人がむやみとストレスを溜め込んだとも伝えられる。その一方で、既に語り尽くされたように初見力にも優れていたが、しかし実際は、演奏法ではなく練習法に長けていたという見方もある。彼は「私はスケールとアルペジオの練習のみで、全てのテクニックを習得しました」と皮肉まじりに語ったそうである。
レパートリーはバッハやベートーヴェンなど古典的なものから、よりモダンなブゾーニやシェーンベルクからゴッフレド・ペトラッシまでと、当時の最高水準の記憶力とみなしてよい。1923年にはハンス・プフィッツナーのピアノ協奏曲の初演を行なった。しかし今日ギーゼキングは、もっぱらモーツァルトとドビュッシー、ラヴェルの伝説的な演奏家として記憶されている。作曲者の存命中にラフマニノフの協奏曲の録音にいどんだ、最初のピアニストでもある。
カール・ライマー Karl Leimer との共著により、ギーゼキングは2冊のピアノ奏法論を上梓した。「ピアノ奏法完成への早道」(1932年)と、「ピアノ奏法の諸問題~リズム、強弱、ペダルなど」(1938年)である。
[編集] 演奏と録音
録音態度は意外なほどいい加減で、完璧に近いものからウォーミングアップ程度のものまで様々である。現代のピアニストでさえ敵わないダイナミックレンジの大きさは、基礎体力そのものの優位が関っているという説がある。
ギーゼキングは、死去から半世紀を迎えた今なお、伝説のピアニストとして語り継がれている。ギーゼキングのCDは同じ内容のディスクを何度も回を重ねて発売されているが(EMI)、これは貴重な文化財保存という側面を持っているといえる。ペダル操作が比類なく、完璧なまでの作品の記憶力と、細部にわたって楽譜の忠実な再現、楽曲構造に対する明快な洞察力などで、同時代のピアニストの中でも卓越した存在だった。
ドビュッシーやラヴェルのピアノ曲は、たいてい運指やペダルの指定がなく、これらは演奏者の判断に委ねられている。殊にドビュッシーでは、ともすれば曲の見通しが曖昧模糊となりがちである。これに対して、ギーゼキングの演奏は曲の分析力が明晰で、当時のつたないアコースティック録音にもかかわらず、ニュアンスに富んだ繊細な音色と、多彩な表情の変化に満ちている。その上、演奏技巧に欠点がない。つまり、曲の解釈において迷いが無い。たとえばドビュッシーの≪前奏曲 第1集≫の<パックの踊り>は、これほどの速さで押し切っているにもかかわらず、まったくテンポやフレージングが乱れない。こうした特長のために、学習者の模範として使われてきただけでなく、後世のピアニストからは、ドビュッシーやラヴェル演奏の完成者として、到達目標として仰がれたのである。
それでも、彼の全盛期はSP時代だと伝えられる。LP時代に入ってからのベートーヴェン全集やバッハのWTCでは一発撮りにちかい不安定なテイクも少なくない。