三ない運動
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三ない運動(さんないうんどう)とは、望ましくないある事象を3つの「ない」に集約したスローガンを掲げて禁止するよう呼びかける運動の一般的な呼称である。
著名なものは下記のとおり。
- 高校生がバイクを「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」。
- 選挙活動において、公職選挙法で禁止されている寄付行為に関して「贈らない」「求めない」「受け取らない」。
- 暴力団を「利用しない」「金を出さない」「恐れない」。
- 飲酒運転防止のため、「飲まない」「乗らない」「飲ませない」。
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[編集] バイクにおける三ない運動
バイクにおける三ない運動とは、高校生がバイクを「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」というスローガンを掲げた運動である。多くは生徒の交通安全に対する誓約の形をとるが、校則に組み込まれているところもある。
運動の主体は自治体の教育委員会であるが、実際の運用は各校となる。運動を推進している場合は、通学においてやむをえない事情(特に学校と自宅の地理的関係)がない限り、バイク(第1種原動機付自転車を含む)による通学はもとより、車両の購入、運転免許の取得を認めていないことが多い。
違反時の処分は学校の運用や校則による。誓約の形をとっている場合は免許証預かり(卒業まで学校で保管)とすることのが普通だが、校則としている場合の中には謹慎処分や停学、卒業まで免許没収(当然バイクも没収。ある高校では売却や強制的に廃車も)というところもあるとされる。さらに保護者にバイクで学校まで送迎してもらった高校生が、校則違反として処罰されたケースや、幼少期からモータースポーツでバイクに乗っていた男子高校生に対し学校からの「三ない運動違反なので今後モータースポーツはあまりしないように」という指導に保護者が立腹し学校とトラブルに発展したというように、本来三ない運動違反ではないはずのモトクロスやジムカーナといったモータースポーツでのバイク乗車も規制の対象とされるようなケースも報告されている。
[編集] 背景と推移
1970年代から1980年代にかけて、暴走族による交通事故・交通秩序の乱れが社会問題となった。オートバイに乗る若者イコール暴走族、と単純に結び付けられてしまう傾向すらあり、国会審議でもこの時期、16~17歳の自動二輪運転中の死者数が高いことが度々取り上げられており、自動二輪免許の年齢引き上げという世論もあった。
自動二輪の運転免許取得可能年齢が16歳であるのは、義務教育が終了し職業に就く上で業務遂行のために必要とされる場合があるからで、職業に就かず学業を主とする全日制の高等学校を主にターゲットとして、少年の死亡事故数が高かった自治体を中心に始まったのがバイク三ない運動である(このため、定時制・通信制の高等学校では三ない運動による制約を受けないことが多い)。1982年には全国高等学校PTA連合会が全国決議として採択、以後推進し、運動は全国に広まった。
しかし、生徒の立場からは「学校側は『高校生みたいな分別の着かない若者に免許を与えバイクに乗る事を許せば、暴走族になりそれで事故や検挙なんかされたら高校の名前に傷が付く』と考えているのではないか」「高校生にバイクに乗る事を許し、もし事故が起こった時、学校や教師への責任追及が恐いから、せめてうちの高校に通っている間はバイクに乗らないでくれ、乗らなければ事故は起きないからと考えているのではないか」「家が遠いのでバイク通学をしたいのに三ない運動のせいでバイクに乗れない」「中には公共交通機関が身近になくやむを得ず自転車で長距離通学している生徒もいるのに、教師は車で楽して通勤するなんてナンセンス」「都市部ですら身近な公共交通機関が廃止あるいは未発達で交通の便が悪い地域も存在するのに、それでもバイクに乗ってはいけないのか」(三ない運動撤廃・運転者教育導入に反対する交通団体に対して)「バイクを選ばない権利が認められるのならバイクを選ぶ権利も認められるべき」といった反発も根強く、隠れ乗りや無免許運転は後を絶たなかった。また、本田技研工業創業者である本田宗一郎は著書「私の手が語る」にて「交通教育を放棄するのではなく、高校生をよき交通人として教育し社会に送り出していくべきではないのか。」と運動を痛烈に批判した。
1990年代、運動で二輪車部門が大打撃を受けた本田技研工業、スズキなどの大手二輪車メーカーは、日本自動車工業会を通じ反論を展開し始める。1996年には「高校生の交通事故全国調査」を行い、「三ない運動を強力に推進している地域ほど、高校生の二輪死者率が、同じ地域の一般の二輪死者率より高い」という調査結果を発表した。三ない運動によって逆に高校生への交通安全教育を放棄していることになり、それが危険な運転を助長、「臭いものには蓋」という考えでは事故は無くならないと主張する。また、この後神奈川県警察は運動は二輪車事故を防止する上で効果が全く見られず、むしろ二輪車事故の原因になっているという見解を発表した。他にも一部の市民団体や人権団体、日弁連などから「三ない運動は道路交通法や子どもの権利条約に違反しているのではないか」といった運動の違法性を指摘する意見も出されるようになった。 また、この頃から三ない運動に関する裁判で東京学館高校訴訟を始めとして学校側が敗訴するケースが出てきた。
これを受けて1997年、全国高等学校PTA連合会は全国大会において、三ない運動を拘束力のない「宣言文」に格下げ。以後、バイクの免許取得・運転を規制する校則は衰退の傾向にあり、運動を肯定する団体は事実上消滅・運動を肯定するような意見もほとんど出なくなった。(某バイク雑誌では過去の遺物のように取り上げられたことがある。)また交通安全は生涯教育であるという観点から、神奈川県警察の「かながわ新運動」という運動や本田技研工業が三重県内の私立生光学園高校と共同で鈴鹿サーキットで行っている安全運転教習をはじめ、規制するのではなく乗せて教えるという教育を各自治体の教育委員会や校長会が進めることで事故を防ぐ試みも広まってきており、交通事故防止に大きな成果をあげている。他にも、従来三ない運動が盛んだった埼玉県で二輪車事業者団体が教育委員会に運動撤廃の陳情書を提出し、また実現はしなかったが鹿児島県錦江町ではいわさきコーポレーション傘下の鹿児島交通のバス路線撤退を受けて通学手段確保のため構造改革特区の一環として15歳の高校生でも原付免許取得を認める「原付特区」を設ける構想が浮上した。(その後錦江町では町営バスで対応しているが、過疎地故に毎年多額の赤字が生じており、また現在いわさきグループが3年後に大隅半島から完全に撤退することを表明しているため今後議論が再燃すると思われる)他にも茨城県の鹿島鉄道沿線の高校は鹿島鉄道線廃止が取りざたされだしたのを機に高校生のバイク通学を認め、さらには三ない運動発祥地の静岡県や岡山県内の県立高校が運動から離脱を表明するなど運動廃止の動きはさらに加速している。政府内でも笹川尭を中心とする自民党バイク愛好家議連が運動を撤廃して安全運転教育を高校に導入することを提唱するとともに、各地の自治体に二輪車教育指定校を設置した。芸能界からは元F1レーサーの片山右京が「運動は子どものバイクやメカに対する興味を奪っている」という趣旨のコメントを自身のブログ上で発表した。現在運動を推進するか廃止するかはPTAの自由とする見解が支配的であるが、将来的には総務省や文部科学省は運動を完全に撤廃して全国の高等学校にかながわ新運動のような運転者教育システムを導入する見込みである。なお、運転者教育に関してはバイクだけでなく、自動車や自転車についても実施される見込みであり、これらの規制もあわせて行われている。
全国的に依然として三ない運動が無くならない理由として交通死亡事故が増加する・千葉県や広島県といったかつて暴走族が猛威を振るっていた自治体では暴走族が復活するのではないかという懸念が存在すること・一部の自治体の県P連が三ない運動撤廃の趣旨の無理解さ故に運転者教育導入に反対していることが存在することが主に挙げられているが、有力な公共交通機関(特にバス会社)が高校生がバイクに乗ることによる経営打撃を恐れておりそのために三ない運動が無くならないという説がある。
現在日歩連などの一部の団体がこのような動きに対して「三ない運動が撤廃された場合公共交通の大半が崩壊することは避けられない」と主張しているが、かながわ新運動を展開している神奈川県内の神奈川中央交通を始めとする路線バス事業者の大半が新運動開始後も赤字に陥っていないため、余程のことがない限りそのような事態は起こらないとされる。
[編集] 3+1ない運動等
全国高等学校PTA連合会ではこの運動をさらに拡大して、「親は子供の要求に負けない」を加え3+1ない運動と呼ばれる運動を推進しており、昭和62年には全国のPTAにその趣旨の徹底を求めている。また、バイク四ない運動プラス1などの名称が用いられていることもあるが全国的に衰退化傾向にある。