校則
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校則(こうそく)とは、学校内部における規則のうち、特に在学生自身に関わる定めのことである。児童規則(じどうきそく)、生徒規則(せいときそく)、学生規則(がくせいきそく)などともいう。校則を定めるかどうかは、学則などとは異なり各学校の事情にゆだねられ、形式や効力は、各学校によって異なっている。
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[編集] 概要
校則の内容としては、手続きに関する規定と在学生の日常生活に関する規定とに大きくは分けられるといわれる。
手続きに関する規定としては、家庭との連絡、出欠席、懲戒(訓告・停学・退学など)、休学、転学、編入学、進級・卒業などについての規定がある。一般的にこれらの規定は、学則(教育に関して学校が定めた規則)の定めを受けて、在学生に対して行われる具体的な手続きや在学生が行う届出の方法などの細部が定められているものが多い。
日常生活に関する規定としては、制服や標準服の着用、靴や学生鞄、学校への持ち込み物、髪型や髪色、運動靴や運動着、登校時や下校時の行動などについての規定がある。一般的にこれらの規定は、生徒指導(生徒の人間形成を図る活動)と密接な関連性を持ち、教育の目的(人格の完成など)を達成するために定められているものが多い。しかし、多くが管理教育の一環として行われる。また、生活指導部の教員が主に規定を定めているので、裁判を起こすには対学校、校長だけでなく、生活指導部の教員も訴えるべきである。
双方の規定とも、生徒の便宜を図るために定められているものであり、校則の運用は、生徒の利益を基本的に考慮して行われることが望ましいとされる。しかし、校則は、制定・改正・廃止などの手続きや、明文化されている(成文の)ものとそうでない(慣習の)ものが混在しているなど、形式が厳格に整えられていないことがあり、このような場合では、運用の際に不明瞭な点を残す場合もある。特に、日常生活に関する規定については、在学生に対する懲戒処分を行う際の規範となることがあるため、規定の有効性や内容の是非をめぐる裁判上の争いも見られる。
また、校則は、学校生活において在学生が直接関わる規則であり、在学生が法規範をはじめとする社会規範の理解を図る上で良い効果もあるといわれる一方、在学生の法規範などに対する知識は必ずしも十分とはいえないため、学校はそのことに対して在学生の権利を不当に侵害したり、在学生が社会規範に不信を持ったりしないように校則を運用する必要もあるといわれる。
[編集] 歴史
第二次世界大戦前は、学校の権限として、在学生と学校を結びつける物として、事務手続きや教育的指導についての規定が定められていたといわれる。この当時は、教育を受けることは義務的なものであるとも考えられていたことや、保護者は教育的な事項の多くを教員にゆだねる傾向が強かったことから、学校の裁量が比較的大きかったといわれる。
第二次世界大戦後に、日本国憲法、教育基本法が制定されると、教育を受けることが権利であるという認識が高まり、保護者も教育へ積極的に参加するようになった。当時も、学校が校則の制定者・責任者と考えられたが、校則を決定する際には、保護者の意見などを尊重した上で、それぞれの地域の実情をふまえて定める傾向が広がった。
1980年代には、校内暴力などの問題が学校内で多発したため、生徒指導を拡充する目的で、在学生の日常生活に関する規定が肥大化したといわれる。このような傾向は管理教育ともいわれ、学校の秩序を維持する意味では効果もあったものの、在学生の主体性を育む面での問題もあって、1990年代には厳格性だけに留まらない校則の内容・運用が求められるようになった。
1994年からは児童の権利に関する条約が日本国内でも発効したため、校則の内容について生徒の意見も取り入れようとする試みも以前に比べて盛んに行われるようになった。2000年代には、コミュニティ・スクールなどをはじめとして、保護者や地域社会も学校の運営に参画するという学校のあり方も提案され、校則は、学校外部の意見も相当に考慮して定められるべきであるという考え方が広まりつつある。
[編集] 法的根拠
校則について、とりわけ私生活や生活態度など道徳的な部分や私的な領域に踏み込む、通例「生徒心得」と呼ばれるものについて、しばしば丸刈り強制や男女交際の禁止など人権に抵触する疑いが持たれ、時には裁判で争われる事態となっている。こうしたなかで、校則の効力の法的根拠が問われることとなった。
校則の法的根拠を主張する側の論拠としては次のようなものがあげられる。
- 特別権力関係論 学校という建物の使用規則として公法上にいう包括的な支配関係である特別権力関係が成立しており、合理的な限度内で自由に規則を制定できるとする。しかし、公法学上、現在では特別権力関係が存在するという議論自体が後退しており、もはやほとんど主張されない。仮に特別権力関係論を主張するにしても義務教育を除く国公立学校のみである。
- 在学契約論 おもに高等教育や私立学校について、校則の存在や学校の制定権について、入学時に自由意志に基づいて契約が成立したものと(明文の規定がなくても)考える説。これについては、人権にかかわる問題については契約も及ばないという点が指摘される。また、国公立の初等中等教育についても、私立学校に準じて考えられるという説が主張されるが、義務教育であるかぎり、自由意志による選択ができないのであるから、準じて考えるのは無理であるという指摘がある。(国立小中学校については自由選択での入学のため、適用の余地はある。)
- 部分社会論 現在最も表立って主張される理論であり、学校は自律的な部分社会であり、そこでの内部規律については、外部は、法や人権が犯されない限り、干渉すべきでない、とするもの。また、憲法上の諸権利を根拠とした干渉についても、これらの権利は主として公権力と個人との関係を規定したもので、私人関係の関係には援用されない、とされる。しかしこれについても、学校がなぜ自律的自治権を有する部分社会であるとしなければならないかが不明確である、また自立性を認められるべき部分社会であるとしても、そこでの規則に関する争いだからといって同時に法的争いを構成しないとはいえない、などの批判がなされている。
この問題はまた、現在では教育的・形式的なものにとどまっている生徒自治が校則にどこまでかかわるべきかという点にも関係している。ドイツなどでは、大学以外にも中学・高校などでも、学校の自治に生徒・学生の参加が制度化されている事例が存在する。
[編集] 校則の内容
[編集] 共通に見られる事項
校則には、手続きに関する規定が、学校の種類を問わず比較的共通に見られる。具体的には、家庭との連絡に「連絡帳」や生徒手帳などを用いること、欠席の連絡をする際の方法、懲戒処分(訓告・停学・退学など)が行われる際などに在学生に求められる行為、高等学校などの後期中等教育以上の段階にある課程では、休学、転学、編入学、自主退学などについての定めもある。
これらの多くは、細部を具体化する規定であり、それぞれについて改めて個別に規則を作って定めることも可能である。しかし、在学生の権利や義務などの重要な事項に関連するような規定もあるため、在学生の参照頻度が比較的高い校則にも組み込んで規定している場合が多い。。
校則はあまり外部に公表されない場合が多いため、学校に入学してから初めて詳細な校則を知る場合も多い。
[編集] 幼稚園
幼稚園では、制服の着用や近隣の住民との接し方などについて幼児に教示していることが多いが、これらは、幼児に対しての日常的な保育活動・教育活動の一環として行われており、「幼児に対する規則」なのかどうかははっきりしていない。守られることが求められる規範は、保護者に理解を呼びかけて対応することが多く、学校の規則というよりは、学校と家庭との間の協定に近い傾向がある。
[編集] 小学校
小学校では、登校中・下校中の買い食いの禁止などの規定が見られる。このほかに学区が広域にわたる学校などで、登校中・下校中などに困ったことが起きたときの行動について、地域社会との協定に基づいて、特別に児童向けの規定が設けられていることがある。
[編集] 中学校
中学校では、交通安全上の目的で自転車通学やバス通学に関する規定が多く、大部分の学校で制服が指定されている。また、生徒に自我が芽生え始めるため、特に頭髪について着色やパーマを禁止する規定が見られ、このため、天然パーマの生徒が天然パーマ証明書を携帯しなければならない学校もあった。現在では、特に明文の規則には定めず、学校と各保護者が個別に話し合ってその時々に決めていくという事例も増えてきている。なお、熊本県などの一部の中学校では、(男子)生徒の頭髪を丸刈りに統一する校則がごく最近(遅いもので2006年頃)まで残り、問題ともなって、廃止運動などが起きていた。
他に、生徒による教員殺傷事件が発端となって、刃物類の持ち込み禁止や、持ち物検査を許容すべきかも議論となっている。
[編集] 高等学校
高等学校では、主に在学中のバイク通学の可否などが論点となる。全日制の課程では、在学中の運転免許の取得の禁止や、バイク購入・運転免許取得費用を調達するための就労の禁止をしている学校が多かった(原付のみ許可の場合もあった)。このため、秘密のアルバイトや、バイク運転などが発覚して問題となる場合があった。しかし、在学中の運転免許の取得の禁止を1982年以来、全国単位で推進してきた全国高等学校PTA連合会が、三ない運動全国決議を、1997年の全国大会において、拘束力のない「宣言文」に格下げして以来、バイクの免許取得・運転を規制する校則は衰退の傾向にある。ほかに、女子校などでは妊娠すると退学になるなどの慣習による規範があることもあるが、この規範については、日本における女子の婚姻が16歳から可能であることなどから、人権問題となることもある。
全日制の課程では、多くの日常生活に関する規定が存在することが多いが、定時制の課程や通信制の課程では、就労、染髪なども禁止されないことが多く、制服や標準服がないことも多い。
旧制中学校・高等女学校を前身とするなど長い歴史がある学校では、当時の名残で、下駄履き登校を明文禁止する(音が喧しい事が理由と見られる)など現代社会では無意味な規程が残っている場合や、校則の改正が頻繁に行われず、現代的な諸問題がほとんど規定されてない場合もある。
一部の保守的な私立学校(特にミッション系に多い)では、異性との交際を禁じる校則があり、会話したりすることも制限する場合すらあるとされる。
学校サイドによる退学処分をすると、学校のイメージが下がるためか自主退学、転校を進めたり、無期限停学にして出席日数が足らずに留年、退学させるをいうケースも多く、各種統計における退学者の人数は氷山の一角に過ぎない。
[編集] 大学・短期大学
大学や短期大学では、自動車通学の可否などが論点となることもある。また、大学紛争・大学闘争で混乱した経緯がある学校は、学生の政治運動に関する届出制などの規定があることがある。大学の内部が事務組織と教育研究組織に分かれているため、それぞれが単独で学生に対して校則を定める場合もある。
[編集] 校則の文体
教科書の文体などと同様に、校則の文体についても、幼稚園・小学校は「…ましょう」を多用した敬語体での表記が多く(ただし1980年代までは常用体を用いていた小学校も多かった)、中学校以上は法律と同様に「…である、…すること、…ればならない」などの常用体での表記が圧倒的多数を占めている。
[編集] すべての学校にある校則
ここでは、小学校、中学校、高校、大学のすべてにおける校則を記述する。
- 廊下を走らない。
- 通常、廊下を走るのは、危険な行為である。曲がり角における出合い頭衝突事故の恐れさえある。
- 携帯電話(PHSも)の扱いについて
- 携帯電話の扱いは、学校によって多種多様である。持ち込んではいけないという規定を設けるところが多いが、実際、持ち込んでいる生徒は少なくない。さらには授業中に携帯電話を使う、というケースもある。しかし、自ら携帯電話を使用する背景には、その教員の指導力不足が原因である。自分の事を棚に上げて、携帯を取り上げる態度に不満が高まりつつある。もっとも現在では、高校以上の学校では持ち込んでいる生徒が大半であり、これを許可する学校は多い。なお、その際でも授業中または学校にいる間は電源を切っておく等の規定は設けている、。
- 近年、未成年者をターゲットとした犯罪が多発していることから、長距離通学を強いられる国立・私立校を中心に、小学校でも安全確保のため携帯電話の持込みを解禁した学校もある。[1]
- なお、このように携帯解禁が進んでいる時代ではるが、今でも一部の学校では所有すら禁止にする学校もある。
- また、録画や録音機能を使って教師の不適切な発言、体罰等の行為を記録するという意味においては携帯は必要なのかもしれない。
[編集] 盲学校・聾学校・養護学校
盲学校、聾学校、養護学校では、幼稚部・小学部・中学部・高等部に分かれており、それぞれで幼稚園・小学校・中学校・高等学校に準じた教育が行われる。校則については、各部ごとに教育段階に応じて作られていることが多いものの、少人数であるためか、詳細な規程もやや少なめであり、校則に関しての画一的な教示も少なめであるといわれる。なお、生徒指導が行われないという意味ではなく、規範に大きく反すれば個別的に対応がとられる。