三渓園
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三渓園(さんけいえん)は、横浜市中区本牧三之谷にある庭園で、敷地面積は17.5ha。実業家で茶人の原富太郎(号:三渓、1868年-1939年)によって作られた。
原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集した。平安時代仏画の代表作である「孔雀明王像」(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在であった。彼は古美術品のみならず室町時代の旧燈明寺三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築、庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民に公開し、その後も建造物の移築は続けられた。
三渓園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、神奈川2棟、和歌山3棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。2000年には、会議、パーティーなどにも利用できる、鶴翔閣(かくしょうかく)を復元した。この建物は横浜市指定有形文化財に指定されている。
第二次大戦中、横浜大空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。原富太郎の古美術コレクションは戦後の混乱期に散逸し、建造物だけがかろうじて残った。1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立され、再び庭園の整備を行い、今日に至っている。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次大戦後に三渓園に移築したものである。
園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築であり、移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。
[編集] 指定文化財
- 重要文化財(建造物)
- 臨春閣(3棟)
- 月華殿
- 春草廬(しゅんそうろ)
- 旧天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう)
- 聴秋閣
- 1623年(元和9年)建築。徳川家光の命により佐久間将監が二条城内に建築。当時は「三笠閣」と称した。これが家光の乳母の春日局に下賜され、春日局の孫の稲葉正則の江戸屋敷に移築。さらに1881年に東京府牛込区若松町(現新宿区若松町)の二条家(当時の当主は二条基弘)に移築。1922年に三渓園に移築。聴秋閣という名は三渓園に移ってからの名である。
- 旧東慶寺仏殿
- 旧燈明寺三重塔
- 旧燈明寺本堂
- 旧矢箆原(やのはら)家住宅
- 天授院
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