下河辺三史
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下河辺 三史(しもこうべ さんし、1911年10月16日 - 1993年1月17日)は、実業家。日本鉱業(現・ジャパンエナジー)の社長を務めた下河辺建二の次男として東京都に生まれる。下河辺牧場の創業者・下河辺孫一は兄、山下汽船(現・商船三井)常務や山栄船舶社長等を務めた漆野寿一は義兄。
1932年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)を卒業して日立製作所に入社。立憲政友会所属の衆議院議員・芦田均の長女・美世と結婚し、3男をもうけた。義父の芦田が幣原内閣の厚生大臣として入閣したため日立を退社、厚相秘書官となる。芦田が片山内閣の外相就任にともない外相秘書官、芦田内閣発足と同時に首相秘書官となった。その後日立グループの商社・日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)に取締役営業部長として入社、1959年常務に就任。その後1964年専務となり、1965年7月社長に就任。1968年からは日立リース(現・日立キャピタル)取締役も兼任した。その後1981年6月会長に、1985年相談役に退いた。
長男の下河辺元春は国際政治学者の進藤榮一とともに「芦田均日記」の編纂をしたことで知られている。また、三男の下河辺晴三は音楽プロデューサーとして有名。