中山美保
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中山 美保(なかやま みほ、本名:石田美保子(いしだ みほこ)、2月23日-)は吉本興業所属の日本のお笑いタレントである。徳島県徳島市出身。
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[編集] 来歴
プール学院高等学校卒(同窓には女優の八千草薫がいる)。幼年期は、父親の仕事の都合でインドネシア共和国(ジャワ島)に育ったため、日本語がほとんど喋れなかったという。ちなみにこのとき現地人からは「ノニー」の愛称で呼ばれていた(「ジャイケルマクソン」2006年5月11日放送分での本人談による)。
千日前にあった大阪劇場の専属女優として活躍の後、1967年(新喜劇の主力である吉田ヒロ、安尾信乃助、川畑泰史、高橋靖子の生年に当たる)、梅田コマ劇場「宮城まり子自叙伝」で吉本新喜劇にデビュー。20代~30代の頃は新喜劇のヒロインとして、藤井信子、山田スミ子に続くマドンナとして活躍、井上竜夫、末成由美らと共に、長年に渡り吉本新喜劇を支えた。1989年「新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」で看板役者が次々と抜けてゆく中、桑原和男、池乃めだからと共に新喜劇に残留。現在でも新喜劇の舞台に立ち続けている。
近年の役柄は、舞台の主人公もしくはヒロイン、そのヒロインの婚約者(山田亮が演じることが多い)の母親役、旅館の女将役、売店のおばさん役が多いが、たまに女学生の役もこなす(セーラー服姿は大変なインパクトを持つ→ヒロイン時代が長く、その後半、年齢上厳しかったにもかかわらず、セーラー服等、10代・20代の役をこなしており、その時代は誰もつっこめなかった。現在はそれを転じさせて使っている)。またその一方で、五十嵐サキ・小籔千豊・山田亮・伊賀健二・小米良啓太ら若手の育成にも余念がない。
[編集] エピソード
- 夫は横山エンタツの長男である。つまり、エンタツの次男花紀京の義姉にあたる。
- 女優の中山美穂とは一文字違いであったため、一時期よくそれをネタにされており、本人も「ミポリン」と自称した事もある。また、中山美穂本人となんばグランド花月の地下駐車場で実際に対面したこともあるという。
- 生年は「不詳」である。後輩がパスポートを預かる際にも、生年が分かるパスポートは絶対に持たせないようにしている。同じく生年不詳とされていた今いくよ・くるよの2人の生年をあっさり暴露した吉本興業元常務木村政雄ですら、中山の生年は認知していないとされている。小学1年生の頃にインドネシアから引き揚げてきたとされることから、1934年(太平洋戦争開戦前の引き揚げに相当)、或いは1938年(太平洋戦争敗戦に伴う引き揚げに相当)の生まれではないかと言われているが、1936年生まれの桑原と1歳しか違わないという説もあり、真相は未だに明らかではない。偶然だがその桑原とは誕生日が同日である。また、2006年5月18日放送分「ジャイケルマクソン」内でデビュー当時とされる写真が公開されたが、中山当人はその写真を「24歳の時に撮った」と証言している。
- デビューした当時の富司純子が「映画以外でも、こんな綺麗な人がいてはるの!?」と驚いたように、確かに若い頃は相当な美貌の持ち主だったようである(チャンバラトリオ・山根伸介談)
- 平気で「おばちゃん役」といわれるが、明らかにその言葉に対する不愉快さを出してしまうことがある。
[編集] 主な持ちネタ
古参のメンバーでありながらこれといったギャグは持たず、年齢やシワをいじられることが多い。
- うれしいことがあると、普通に楽しそうにしていたのが突然ふてぶてしい笑い方に切り替える「ウヮーハハハハハハ」。池乃めだかの同様のギャグ「ニャハハハハ」に近いがより単純。
- (主に内場勝則)首を見られて「シワや~」と言われ
- (石田靖)
- 首筋に触れて「いててて、シワが噛んだ」
- 体に触れて少し間をおいて「アワワワ、若さを吸い取られた~」
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- (共演者)石田とウェーブする
- (中山)「まぁ、よってたかって、何がシワシワシワよ」
- (石田)「お~、さすが元祖はキレが違うな」
- (小籔千豊)
- (中山を回して首筋に触れながら)「赤いリンゴに唇寄せて~」と歌う。
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- (中山)「おたくな~に人をレコードの針みたいに回してくれてんのよ」
- また、足をがにまたにして大またで歩き、息子(あるいはそれに近い立場)役の人間に『足、足、足…』と注意される。末成由美もこのギャグを使う。
- 「彼、わたしのことを・・・キャサリンって呼んでくれますねん」(一同ずっこける)