中島輝士
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中島 輝士(なかじま てるし、1962年7月27日 - )は日本の元プロ野球選手。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町(旧三田川町)出身。右投右打。ポジションは外野手(一塁手、三塁手、指名打者)。
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[編集] 来歴・人物
1978年に福岡県の柳川高等学校に入学し、野球部の一員となる(同学年のチームメイトに元・チェッカーズの高杢禎彦が居たが、高杢はすぐに退部している)。1980年、選抜高等学校野球大会に投手として出場。「ネッシー」をもじり「テルシー」と呼ばれた。卒業後、プリンスホテルでは外野手に転向。1988年、同僚の石井丈裕や小川博文とともにソウルオリンピック野球日本代表に選出され、同年秋、ドラフト1位で日本ハムファイターズに指名され入団した。
1989年の開幕戦(ダイエー戦)に7番・右翼手として先発出場。9回裏に山内孝徳からプロ野球史上2人目となる新人選手開幕戦サヨナラ本塁打を記録(1人目は南海・穴吹義雄)。その後も1992年に打率.290、13本塁打の成績を残すなど、日本ハム打線の中軸として活躍していたが、死球による怪我のために出場機会が徐々に減少していった。1995年、自己最少の33試合出場、本塁打もプロ入り以来初の0本に終わると、球団からウェーバー公示され、近鉄に移籍した。1996年は主に代打として45試合に出場するも、1997年、1998年の2年間一軍出場なし。オフに現役を退き、翌1999年からは大阪近鉄の二軍打撃コーチを務めた。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 血液型 B型
- 出身 佐賀県神埼郡三田川町(現・吉野ヶ里町)
- 球歴・入団経緯 柳川高校-プリンスホテル-日本ハム(1989年~1995年)-近鉄(1996年~1998年)
- ドラフト年度・順位 1988年日本ハム1位
[編集] 通算成績
試合641 打率.251(打数1805、安打453) 本塁打52 打点225 三振170 四死球361 盗塁13
[編集] タイトル・表彰
- 一軍初出場:1989年4月8日、対ダイエー1回戦(開幕戦)(東京ドーム)(7番・右翼手として先発出場)
- 一軍初先発出場:同上
- 一軍初安打:同上(9回裏・第4打席、投手:山内孝徳)
- 一軍初本塁打:同上
- 一軍初打点:同上
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
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