伊藤さおり (お笑い)
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伊藤 さおり(いとう さおり、1974年4月9日 - )は、お笑いコンビ「北陽」のツッコミ担当(だが、彼女がツッコミであることはあまり知られていない)。所属事務所はプロダクション人力舎。埼玉県岩槻市(現さいたま市岩槻区)出身。身長157cm、体重55kg、足のサイズ24cm、スリーサイズB90W68H86。血液型A。特技は書道と柔軟体操。愛称は「伊藤ちゃん」。
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[編集] 概要
埼玉県立久喜北陽高等学校(コンビ名の由来)に進学しソフトボール部に所属、そこで現在の相方の虻川美穂子と出逢う。因みに、本人は外野手の補欠、相方の虻川は投手のレギュラーだった。 1995年、虻川と組み、北陽を結成。
相方に比べると地味だが、可愛い顔やちょっとぷっくりした所が一部男子に大ウケ。『森田一義アワー笑っていいとも!』でダイエット企画が組まれたが成功せず、井上和香を模したセクシー水着写真を撮られた。その後、この時の写真をプリントした抱き枕を視聴者プレゼントに使われる。
所属事務所の中では1番の天然ボケらしい。
[編集] エピソード
[編集] 幼少時代
男の兄弟に囲まれて育ったので、幼い頃は着せ替え人形などの女の子っぽい遊びは全然しなかったという。川に行ったり、昆虫を捕まえたり、泥んこになって遊ぶなど、男の子のようにとても快活な少女だったという。
[編集] はねるのトびら
2004年1月、レギュラー出演している「はねるのトびら」(フジテレビ)が全国放送となって11時台に昇格した際、当時裏番組だった 「おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様」(日本テレビ)と放送時間が重なってしまう、いわゆる「裏かぶり」の状態となり、北陽は3月までの3か月間にわたってはねるのトびらへの出演休止を余儀なくされた。生来マイナス思考の彼女であったが、それを悪化させる事態となった。
これだけでも北陽はつらい思いをしたが、その際、日本テレビのスタッフから「はねトびが全国放送になったから、北陽は捨てられた」などの陰口(ほとんどが事実無根)を聞かされ、さらにつらい立場に。相方の虻川はその後自力で立ち直ったが、彼女はそのショックを引きずり続け、さらに、その後恋の悩みを抱えていたことも重なり、4月に復帰してからもNGを出したり、収録中に上の空になったりしていたという。一時は、虻川に「北陽辞めたい」と漏らしたという。
その後、はねトびがゴールデンに昇格し、「ためしてガッテン」のパロディー企画「ためしてガットン」で、「番組開始当初のイキイキしていた伊藤をよみがえらせる」という趣旨のもと、催眠療法で本来の伊藤を引き出す試みがなされた。すると、急に踊りだしたり、TVカメラの前でおどけたポーズを取ったりと、普段の番組で見せる伊藤とは全くの別人と化していた。極めつけは、おもむろに廊下に出て、ストリッパーのようなエッチな開脚を繰り返した。(本人いわく、催眠状態であったので「体が勝手に動く」状態だったとのこと。)
この状態をスタジオで見ていた、ドランクドラゴンを除く男性メンバーは「最低の潜在意識」と揶揄した。この潜在意識を裏付けるものとして、このコーナーでADに扮していた鈴木拓(ドランクドラゴン)は、「伊藤さんは、「酔ったときの私はエロいよ」と言ってた」と証言している。
[編集] 過去に出演した番組・作品
- セガサターンおよびプレイステーション、PSP用の実写ノベルゲーム『街 ~運命の交差点~』に出演した。『街』の出演オーディションでは自分を太ったように見せるために意識的に体重を増やしていたという。ちなみにその当時の、ゲーム中での体重は65kg前後。
- ケータイ将軍(日本テレビ 2002/10/07~2003/03/31放送)
- ayu ready?(フジテレビ 2002/10/12~2004/03/20放送)
- おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様(日本テレビ 2002/10/01~2004/09/22放送)