プロダクション人力舎
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プロダクション人力舎(-じんりきしゃ)は、お笑い芸人専門の芸能事務所。玉川善治が1977年に設立。所在地は東京都杉並区高円寺南。
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[編集] 概要
設立当初は東京乾電池(高田純次・柄本明・ベンガルなど)が所属、その後もシティボーイズ(大竹まこと・きたろう・斉木しげる)、マギー司郎、竹中直人、中村ゆうじ、B21スペシャル(ヒロミ、ミスターちん、デビット伊東)などを世に送り出した。またどこの事務所にも所属していなかったとんねるずもデビュー前に誘われたことがあった。
1992年、若手芸人育成のために東京初のお笑い専門学校「スクールJCA」を開校。毎年、優秀な生徒数組をJCAプロモーションの所属として残し、さらに将来性のあるグループを正式に人力舎へ昇格とするシステムをとっている。
光浦靖子によれば、玉川社長は「タレントが月1000万円以上稼ぐようになると売り方が分からなくなる」といい、売れたタレントに移籍を奨めていたという。実際、シティボーイズ、B21スペシャルらは独立したが、1990年代以降は売れて移籍した芸人はほとんどいない(ブッチャーブラザーズはかつて所属していたサンミュージック企画に再所属したため除く)。小規模な事務所にもかかわらず、昨今のお笑いブームの中心を担う人気若手芸人を多数抱えている。
この事務所は芸人を売れるように育てようという意識がなく、芸人自ら売れようとしなければならない。そのためスクールJCAを出たとしても、自力で売り込みをかけなくてはならない。そのため一時期は、「明日にでも売れたい」と言う芸人は事務所を辞め「何とかなるでしょ」とおおらかに考えていた芸人が残っているらしい。そのおおらかさは社風にも影響し、「昼過ぎにお腹がすいたら出勤、六時には退社。土日休日はかっちり休み」だと所属芸人たちが言っていた時期もある。
この事務所に上下関係はないとして有名であり(例えばドランクドラゴンは北陽の後輩であるが敬語を一切使わないなど)、芸人の間でも先輩後輩としての区切りを意識してないらしい。一時、最近入った若手がアンジャッシュやおぎやはぎなどの先輩芸人を前々からTVで見ている為か、挨拶などが必要以上に凄かったそうだが、おぎやはぎの矢作の「それ(挨拶)をやめさせろ」という発言があったからか最近は以前以上に上下関係がなくなったとの情報もある(アンタッチャブル柴田の『JUNK』での発言より)。
社長が梅干業界にも手を出しており、人力舎所属の芸人はタレントがお土産を持参する企画では必ずといっていい程この梅干を持ってくる。おぎやはぎが「さんまのまんま」に出演し、お土産にその梅干を明石家さんまにプレゼントした。その場で梅干を食べたさんまは「不味くはないけど・・・まぁまぁやな。」と微妙な反応であった。
所属芸人は、上方漫才よりコントもしくは漫才コントを得意としている者が多い。そのことから五味一男やその他、お笑い関係者からは「コントの人力舎」と称される事がある。
[編集] 主な所属タレント
- オアシズ
- アンタッチャブル
- おぎやはぎ
- アンジャッシュ
- ドランクドラゴン
- 北陽
- 東京03
- キングオブコメディ
- ラバーガール
- エレファントジョン
- 田上よしえ
- 鬼ヶ島
- ニッケルバック
- ビシバシステム
- サムライ日本
- オレンジジュース
- Y&Y
- 三福星
- クールズ
- ルーシー