修辞技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
修辞技法(しゅうじぎほう)とは、文章に豊かな表現を与えるための技法。ギリシア・ローマ時代から学問的な対象となっており、修辞学(レトリック、Rhetoric)という学問領域となっている。
目次 |
[編集] 比喩
比喩(ひゆ)とは、字・語句・文・文章・出来事・作品全体などの物事を、それと共通項のある別の物事に置き換えて表現する手法である。読み手に対し、例えられる物事を生き生きと実感させる効果を持つ。比喩を用いた修辞法を比喩法という。
[編集] 直喩法
直喩(明喩、シミリー)とは「(まるで・あたかも)~のようだ(ごとし、みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩である。直喩を用いた修辞法を直喩法という。
[編集] 隠喩法
- 詳細はメタファーを参照
隠喩(暗喩、メタファー)に分けられるものは、比喩であることが明示されていない比喩であり、メトニミー(換喩)やシネクドキ(提喩)などが含まれる。隠喩を用いた修辞法を隠喩法という。
[編集] 換喩法
換喩(かんゆ、メトニミー)とは表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。換喩を用いた修辞法を換喩法という。例えば「バッハが大好きだ。」という文では「バッハ」がバッハの作品を指している。
[編集] 提喩法
提喩(ていゆ、シネクドキ)とは上位概念で下位概念を表したり、逆に下位概念で上位概念に置き換えたりする比喩をいう。提喩を用いた修辞法を提喩法という。たとえば、ある相手に対して「情けない男だ」と告げた時、情けないのはその相手(下位概念)だけであって、男全般(上位概念)を指しているわけではない。
[編集] 擬態法
擬態法(ぎたいほう)は、表現する事象について、様子を文字として書き表した擬態語や、擬音語・擬声語を用いた修辞法である。「姉はにこにこと笑っていた」という文での「にこにこ」が擬態語に、「犬がワンワンと鳴く」の「ワンワン」が擬声語にあたる。
[編集] 擬音語・擬声語
- 詳細は声喩を参照
擬音語(ぎおんご)・擬声語(ぎせいご)は、音や動物の鳴き声などを言語化したもの。写生語、声喩、仏語でオノマトペ (onomatopee)、若しくは英語でオノマトペア (onomatopoeia) ともいう。擬音語(擬声語)を用いることにより、ものごとを生き生きと表現する効果や、また、ものごとに対し読者が親近感を抱く効果など、さまざまな効果が生まれる。犬の鳴き声の擬声語であるワンワンの様に、そのまま幼児語として用いられる場合もある。また、そもそも言語ではないものを言語化しているため、言語によって擬音語は異なることがある。
[編集] 擬人法
比喩の中でも特に、人でないものを人格化し、人に例える手法を擬人法(ぎじんほう、活喩)という。その場合、読み手に対し、例えられる「人でないもの」に対する親近感を抱かせる効果が生まれる。擬人化、擬人観も参照のこと。
- 「海に出て木枯帰るところなし」(山口誓子)
[編集] 倒置法
- 詳細は倒置を参照
文章は通常、主語-目的語-述語 の順で記述されるが、この順序を倒置(逆転)させ、目的語を強調する手法のこと。
- 私は、ついに、宝の在処を突き止めた。(通常)
- 私は、ついに、突き止めた、宝の在処を。(倒置法)
[編集] 反復法
同じ語を何度も繰り返し、強調する。連続して反復する場合と、間隔を置いて反復する場合がある。
- 「高く高く、青く澄んだ空」
- 「我が母よ 死にたまひゆく 我が母よ 我を生まし 乳足らひし母よ」(斎藤茂吉)
[編集] 体言止め
体言(名詞・名詞句)で文章を終えること。名詞止めとも称する。言い切らずに、文の語尾に付ける終止形を省き、体言で止めて、強調させたり、余韻を残すことをいう。もともとは俳句や短歌の技法だったが、1990年代に若年層で流行した。それ以前から星新一をはじめとする小説家が著作で盛んに用いており(例:「私は科学者。実はこの…」)、このことも影響しているであろう。
[編集] 反語
実際の主張と異なる内容を疑問の形で書いているが、強い断定を表す。また、肯定の形で表しているが、強い皮肉を表すこともある。
- 昔は美しい街だったと言っても、だれが信じるだろうか。(いや、誰も信じないだろう)
- おやおや、ずいぶん丁寧な扱いだこと。(とてもひどい扱いだ)
[編集] 呼びかけ
対象物との密接な関係を表す手法。「~よ」などの形になることも多い。
[編集] 対句
対句(ついく)とは漢詩やことわざなどに多く利用される技法で、2つ以上の語呂の合う句を対照的に用いる。
- 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」(平家物語)
[編集] 押韻
詩歌などで同じ音を決まった場所に繰り返し使うこと(=韻を踏むこと)。語句の頭の音を揃えることを頭韻、語句の終わりや行末を揃えることを脚韻という。
- やわらかに柳(やなぎ)あをめる北上(きたがみ)の
岸辺(きしべ)目に見ゆ
泣けとごとくに(石川啄木)
上記の例は頭韻である。
[編集] 省略法
文章の一部を省略することにより、余韻を残し、読者に続きを連想させる表現技法を言う。専ら、省略した部分にはダッシュやリーダーが使われる。