光前寺
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光前寺 | |
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本堂 |
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所在地 | 長野県駒ヶ根市赤穂北割二区29番地 |
位置 | 北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒 |
山号 | 宝積山 |
宗派 | 天台宗別格本山 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 貞観2年(860年) |
開基 | 本聖 |
正式名 | 宝積山 無動院 光前寺 |
別称 | |
札所等 | 信濃五大寺 伊那七福神(弁財天) |
文化財 | 弁天堂(国指定重文) 国名勝 |
光前寺(こうぜんじ)は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山である。山号は宝積山。院号は無動院。本尊は不動明王で秘仏。信濃五大寺(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられた。1967年(昭和42年)5月10日、国の名勝に指定された。また、早太郎という名犬の説話でも知られている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
古記録は織田信忠との戦いなど数々の羅災により失われた。貞観2年(860年)、円仁の弟子、本聖の開基と伝わる。創建時は現在より200m木曽山脈寄りのところにあったらしい。天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡、諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあったという。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた。明治に入り塔頭末寺の多くを廃されてしまった。
[編集] 早太郎説話
この説話は、当寺や、その他各地で語られているものであるが、その内容は類型的である。また、早太郎の名は、伝わる地方により異なり、遠江国では悉平太郎という。駒ヶ根でも、疾風太郎という別名が伝わっている。
この犬は光前寺に住んでいた霊犬だった。ある時代、遠江の見附に、神が現れ、田畑を荒らした。被害に悩まされていた見附の民は矢奈比売神社の祭のとき生贄を差出し、これを鎮めた。
延慶元年(1308年)8月、旅の僧侶がこの地を通りかかり、その神を確認する。すると、神は、信濃の早太郎を恐れていることをひとりごちつつ、生贄を連れ去るのだった。この様子を見た旅僧は、早速信濃の地で早太郎を求めて探し回り、光前寺まで行き、住職から早太郎を借受ける。そして早太郎は神、その正体はヒヒだった、を見事倒した。
その後、早太郎は光前寺に帰ったという。また、たどり着かなかったという話もある。どちらにしろ早太郎はヒヒから受けた傷により死んでしまった。旅僧は、早太郎のために大般若経を光前寺に納めたのであるが、これは寺宝となっている。今でも、本堂の脇に早太郎の墓を見ることができる。
遠江国見附は、現在の静岡県磐田市見附である。この話が縁となり、 1967年(昭和42年)1月12日から駒ヶ根市と磐田市は友好都市関係となっている。
[編集] 伽藍
光前寺は杉の林の中にあり、樹齢数百年の巨木も多い。道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、さらにはヒカリゴケが自生している、と景観に優れている。境内全域が、「光前寺庭園」の名で名勝に指定されている。
- 本堂 - 嘉永4年(1851年)に建てられたもの。
- 三門 - 嘉永元年(1848年)に建てられたもの。十六羅漢を祀る。
- 弁天堂 - 室町時代に建てられたもの。入母屋造り。重要文化財。中に弁財天と十五童子を納める。
- 経蔵 - 享和2年(1802年)に建てられた。唐破風造り。旅僧が奉納した大般若経もここにある。
- 三重塔 - 文化5年(1808年)に建立された、約17mの塔。県宝。
- 仁王門 - 安置されている仁王像は大永8年(1528年)に作られたもので、駒ヶ根市の有形文化財に指定されている。
- 賽の河原 - 三重塔南にある。三十以上の石仏が並ぶ。
[編集] 年中行事
- 1月14日・15日 - 厄除災難除祈祷
- 1月28日 - 初不動尊祈祷
- 4月29日 - 例大祭
[編集] 行きかた
- JR飯田線駒ヶ根駅下車。西方4km。
- 中央自動車道駒ヶ根インターチェンジ出る。西方1.2km。