八木沼純子
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八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日-)は、元フィギュアスケート選手で現在はプロスケーターおよびスポーツコメンテイター。愛称はジュンジュン。
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[編集] 人物
品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部を卒業。
日本人初の世界ジュニア2位入賞者である。
カルガリーオリンピックの代表選考会を兼ねた1988年の全日本選手権では、日本人女子は2名の出場枠があり、伊藤みどりが確実視され、2人目は小沢樹里、加藤雅子、結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたが、初出場の八木沼は規定演技で首位に立ち、総合で2位入賞して当時弱冠14歳にして五輪代表を獲得。3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。
華麗な容姿から当時の人気中学生女優後藤久美子になぞらえて、「銀盤のゴクミ」と呼ばれ、マスメディアで多く取り上げられた。しかし、カルガリーオリンピック本番では調整に失敗し規定で出遅れ、フリーでは健闘するも相次ぐ転倒で14位に終わる(伊藤みどりは5位入賞)。
翌年はフィギュア界の七不思議と言われており、まだ優勝の無かった全日本ジュニア制覇と世界ジュニア日本人初優勝を目指し、シーズン前半をジュニアに留まったが、全日本ジュニアではフリーで同期のライバルだった佐藤有香に逆転され2位。世界ジュニアでも2位に終わる。その後、全日本、東日本などでは表彰台には登るものの、ついに日本スケート連盟主催の全日本格の選手権では優勝を果たせなかった。又、カルガリーの次のアルベールビルオリンピックとリレハンメルオリンピックにも出場を目指したが果たせず、結局五輪出場はカルガリー大会の一度だけに終わった。
彼女にとっての最後の94-95シーズンはNHK杯に出場し、3位入賞(1位陳露、2位ボナリー)世界選手権出場も果たし、完全燃焼した。
[編集] 競技歴
- 世界フィギュアスケート選手権大会合計6回出場(1988年21位、1989年15位、1990年12位、1991年11位、1992年19位、1995年12位)。
- 1987年:世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会でクリスティ・ヤマグチに続き準優勝。
- 1988年:全日本フィギュアスケート選手権で2位入賞。カルガリーオリンピックに伊藤みどりとともに出場し14位。
- 1991年:世界フィギュアスケート選手権大会11位(最高順位成績)。
- 1993年:アジアカップ、ユニバーシアード冬季ポーランド・ザコパネ大会優勝
- 1995年3月、世界フィギュアスケート選手権大会出場を最後に、アマチュア競技者として引退。その後プリンスホテルが運営する、プロフィギュアスケート「プリンス・アイスワールド」の一員となった。
[編集] テレビ出演番組
- フィギュアスケートの各大会の解説(世界選手権、国際オープンフィギュア選手権=2002年・2003年開催=など)
- ソルトレークシティオリンピックとトリノオリンピック(フジテレビの現地キャスター)
- FNNスーパータイム→FNNニュース555 ザ・ヒューマン→FNNスーパーニュース - 1995.10~1999.3
- 熱闘甲子園(2000)
- 獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007.3.11)本人役でゲスト出演