冷やし中華
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冷やし中華・冷し中華(ひやしちゅうか)は、麺料理の一つ。日本で創作された中華風料理である。宮城県仙台市発祥の料理でもある。北海道等では冷やしラーメン、西日本では冷麺と呼ぶ。また朝鮮半島由来の冷麺と区別して涼麺(リャンメン)などと呼ぶこともある。
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[編集] 概要
ゆでてから冷水で冷した中華麺の上に細切りにしたハムや叉焼などの肉類、細切りにした玉子焼き(錦糸卵)、細切りにしたキュウリやトマトなどの野菜などの具を彩り良く盛り付け、醤油と酢あるいはゴマだれをベースにしたかけ汁をかけて食べる。練りからしをそえて食べるのが定番。細切り紅ショウガも相性が良い。
近年は細く裂いた蒸し鶏、キュウリにゴマだれをかけたバンバンジーに着想を得たと思われるバリエーションも流行している。
漫画『美味しんぼ』の登場人物、海原雄山は冷やし中華について、「あんなものに中華の名を使ってほしくない」というほど冷やし中華を嫌っている。これは、中華料理では火を加えない食品は忌避とされている事からと思われる。しかし、この問題は作者の好みの押し付けに過ぎないといえる。
多くの中華料理店では、秋から春にかけてはメニューにおかないで、夏の訪れとともに「冷し中華はじめました」との貼紙を店内にはる。
[編集] 起源
その発祥の解釈には諸説ある。
仙台市の龍亭では、冷し中華(同店では涼拌麺、リヤンパンミエンと呼んでいる)が誕生したのは、1937年(昭和12年)のこととされる。ただし1937年当時の龍亭の冷し中華は、現代の冷やし中華とは少々違い、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたにんじん・チャーシュー・トマトを具として上に乗せた物だった。#全日本冷し中華愛好会 は仙台の龍亭を発祥と認定している。戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えていた。
他方、東京神保町の揚子江菜館では、二代目オーナーの周子儀が、上海で食べられているもやしと細切りの肉を冷した麺にのせて食べる料理とざるそばから着想を得たとされる。
岡田哲編『世界たべもの起源事典』ISBN 4-490-10663-7によると第二次世界大戦後に創作したとする説があるとされている。現代の細切りの具を盛った冷やし中華はこちらで富士山をイメージして始められたとされる。
戦後、寿がきやが心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華の発祥とする説もある。
[編集] 地方による特色
- 北海道では、この調理方法の麺料理を冷やし中華とは言わず、冷やしラーメンと呼ぶ。その北海道でのシェアが大きいためか、東洋水産が販売するインスタントの冷やし中華も同じ「冷やしラーメン」の名称を用いる。また、北海道の居酒屋には「ラーメンサラダ」が存在する。いわゆるサラダ感覚の冷やし中華である。札幌グランドホテルのビアホール「ビッグジョッキ」が発祥である。
- 盛岡では冷風麺と呼ぶ。東北地方では、仙台の 「冷し中華」 の他に、山形の 「冷やしラーメン」、盛岡の 「盛岡冷麺」 を加えて 「みちのく三大冷やし麺」 と言われるときがある。但し、仙台と盛岡はそれほど夏が暑くないので、夏の冷やし麺の人気はそれほどでもない。一方、山形市はフェーン現象のために夏はかなり暑くなるので、冷やしラーメンの人気は高い。
- 福島県や東海地区ではマヨネーズをかけることが多い。中京地区を中心にチェーン展開する寿がきやの影響といわれている(寿がきやの冷やし中華のTVCMでは、独自の歌とともにマヨネーズをかけることを、アピールしている)。
- 関西以西ではこの調理方法の麺料理を一般的に「冷麺」と呼ぶ。いわゆる韓国式の「冷麺」については区別のために韓国(または平壌)冷麺と呼ばれることが多い。
[編集] 全日本冷し中華愛好会
1975年にジャズピアニストの山下洋輔が、冬に冷し中華を食べられないことを憤慨し、仲間の筒井康隆・中州産業大学教授タモリらと「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)という団体を作り、「冷し中華祭り」を開催した。
参考リンク:全冷中「冷し中華祭り」秘話
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 北京料理 龍亭
- 揚子江菜館
- 日中今昔ものがたり 杜の都から『「冷やし中華」誕生 夏場の集客に知恵』