Wikipedia:削除依頼/秋田の聖母マリア
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[編集] (*)秋田の聖母マリア - ノート
このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。
議論の結果、存続 に決定しました。 -- sphl 2006年1月15日 (日) 04:57 (UTC)
語尾を変えた程度で、[1]の転載と思われます。竹麦魚(ほうぼう) 2006年1月2日 (月) 02:42 (UTC)
(削除)転載を確認。--スゥ 2006年1月2日 (月) 02:50 (UTC)(削除)(コメント)転載を確認しました。--H.L.LEE 2006年1月2日 (月) 02:54 (UTC)(削除)→(存続)記事の前半が、ですます調などわずかな表現を変えただけです。Kinori 2006年1月2日 (月) 02:58 (UTC)- (コメント)ノートで作者と思われる人が
屁理屈(?)を何か言っていますが。この水準では宣伝そのものです。--H.L.LEE 2006年1月2日 (月) 03:03 (UTC)--H.L.LEE 2006年1月2日 (月) 04:58 (UTC)(修正) - (コメント)作者より 屁理屈と言うが、何が屁理屈なのかを具体的に文章を指摘して説明しなさい。お前たちは管理者だと言うが何者か?社会的責任の大きな作業だと言う自覚があるのか?あなた方が行った安易な削除は言論の自由を権利として謡い保護している民主国家のなかで、犯罪的レベルのものだ。自分たちの国家が自由主義国家なことをもう一度勉強しなおしなさい。幼稚な議論にせず、具体的に指摘すべき文章を挙げて、根拠を示せ。嫌がらせをやめて、早く私の文章を復帰しなさい。復帰させないなら、更に国際社会において、日本国内の巧妙な信仰の自由への妨害と迫害を告発する。国際社会で日本が孤立するばかりだ。
どうせ、右翼の息子たちに操られているのだろう。国家ごとどうにもならなくなるまで、わからないのか?--219.200.40.50 履歴よりIP付加--Dojo 2006年1月2日 (月) 04:24 (UTC)
- (
削除)転載。--Muyo master 2006年1月2日 (月) 03:44 (UTC)- 転載の疑いが解消したので削除票取り下げ。下にコメント追加。--Muyo master 2006年1月2日 (月) 12:16 (UTC)
- (存続)HPに作者のwikipediaのコメントがあり、指摘に関する限りは著作権上は問題ないため。ただし、内容に関しては百科事典的内容に修正が必要。Hiro36 2006年1月2日 (月) 04:51 (UTC)
- (条件付存続)百科事典的な記事に修正し、ログインの上(IPではだめです)要約欄に本人であることを記載すればよいのでは。それでなければ削除--H.L.LEE 2006年1月2日 (月) 04:58 (UTC)
- (コメント)GFDL違反が是正またはGFDL違反に該当しない文であったと判断できても、百科辞典的な内容ではない。また、複数の宗教団体における争い事を臭わせる内容が記載されており、中立的な観点において極めて慎重な取り扱いが必要と思われる。少なくとも中立的な観点のもと記載が修正されない場合は削除を支持したい。yfuruhata 2006年1月2日 (月) 05:39 (UTC)
- (存続)著作権侵害の虞はなくなった。内容面ではかなり問題があるが、これは編集対応でしょう。必要なら正確性テンプレでも貼り付けられたし。ついでだがフランシスコ小林さんあて。Wikipediaに投稿したものは、原則として撤回できません。また、必ずしも好意的なライターのみが編集に参加するというわけでもありません。この記事が存続した場合、おそらく数々の「同じ意見を持たない者の編集」というあなたがたにとっては災難が降りかかることになるでしょう。しかしそれは神が与えたもうた試練なのだから、怒りなどの感情に身を任せることなく、イエスの教えに従ってその試練を乗り越えるように。--Nekosuki600 2006年1月2日 (月) 06:00 (UTC)
- (削除)原著作者がGFDLの規定に合意していない(あるいは、理解していない)と思われるので。 -- NiKe 2006年1月2日 (月) 06:04 (UTC)
- (削除よりコメント)自由に改変しうる上での投稿ということを理解しておらず、つまりはGFDLに合意ないままの投稿の可能性がありますのでノートなどで原著作者の方がGFDLについて理解を示すコメントが出るまでは削除を前提にした方がいいのではないかと。--Oddmake 2006年1月2日 (月) 07:12 (UTC)
- (削除)削除の上で白紙保護が必要と考える。GFDLへの理解と合意が必要なのはもちろんだが、「秋田の聖母マリア 」で検索したときに類似の文章、文体で始まるページが比率としてかなり多く今回の投稿に限らずweb上でも中立的な視点での記述に疑問を感じる。存続で編集対応にした場合、かなりの混乱が予想されるのでノートで合意が形成されるまで白紙保護扱いとするのが無難。(これ編集できる中立の第三者っているの???)--Lcs 2006年1月2日 (月) 07:46 (UTC)
- たとえばこんなんでどうよ(「これ編集できる中立の第三者っているの???」へのレスポンス)。--Nekosuki600 2006年1月2日 (月) 08:27 (UTC)
(存続)原著作者がHP上で了承といっている以上、当初の提案理由である著作権違反の疑いは解消した。よっていったん議論は打ち切られるべき。また、原則として「中立的な視点」を理由とする削除はできない。Wikipedia:削除の方針#削除対象にならないものに明記されている。web上での中立性云々も排除を前提とした論理。--Mametaro 2006年1月2日 (月) 08:49 (UTC)- 賛否資格なし。三日月 2006年1月2日 (月) 09:00 (UTC)
- (存続)[3]において原著作者による投稿であることは確認できる。GFDLを理解していようとなかろうと、Wikipediaに投稿した以上、GFDLに合意したとみなすべき。撤回もできないはず。内容については編集対応。--端くれの錬金術師 2006年1月2日 (月) 08:55 (UTC)
(削除)(存続)外部サイトの管理者と投稿者が同一人物である場合、特定の宗教の宣伝となるため。--Kstigarbha 2006年1月2日 (月) 11:06 (UTC)(編集で何とかなるのであれば。加筆)- (コメント)GFDLについては、端くれの錬金術師さんが仰るように投稿した時点で「同意したものとみなす」規定があるし、原著作者が特にGFDLを拒否している様子もないので削除理由にはならないと思います。著作権違反でない以上、削除に値する根拠は見出せないです。しかし特定宗教の宣伝となるという点はなんとかならんかねえ。--Muyo master 2006年1月2日 (月) 12:16 (UTC)
- (存続)著作権違反でない以上、明らかな広告でない限り現行ルールでは削除の対象にはなりません。Wikipedia:削除の方針#削除対象にならないものをよく読んでください。内容も編集で対応可能だと思います。Nekosuki600さんの私案は良くできていると思います。それと、おそらくここでの発言を理由として219.200.40.50さんが「他者への暴言」により1週間の即時ブロックになっていますが、そこまでする必要がありますか?219.200.40.50さんがブロックだったら「屁理屈」よばわりして挑発したH.L.LEEさんも同罪でしょう。--Nishibe 2006年1月2日 (月) 19:10 (UTC)
- (削除)Googleで調べましたが信者が書いたと思われるページばかり。また、「奇跡」は1982年に終わったと明言されており[4]、検証しようがない。外部リンク集で終わる恐れが強い。--6144 2006年1月3日 (火) 00:22 (UTC)
- (コメント)[5]に作成者本人がこのことについて何か書いています。内容は今回のことが右翼勢力の妨害(ありもしない)、日本全域に及ぶ巧妙な信仰の妨害(???)など脅迫めいたメッセージを残しています。(竹麦魚さんの名前を挙げていました。)また、6144さんがあげたサイト(名もなく貧しき会)に対しても、ここ中傷ウェブサイトと書いています。(URLまであげている)(これが、この記事を含め219.200.40.50さんの書いた記事に挿入されている。後で消されましたが。)--H.L.LEE 2006年1月3日 (火) 01:39 (UTC)
- (コメント)私には単なる紹介にしか見えませんねw--6144 2006年1月6日 (金) 01:59 (UTC)
- (存続)6144さんのご指摘ですが、それは間違っているでしょう。今更イエスの奇跡は検証できませんが、それを信じている人がいることは事実です。秋田の聖母マリアにしてもまた同様。--Brevam 2006年1月3日 (火) 06:21 (UTC)
- (コメント)単に外部サイトの内容をまとめて「こういう宗教です」と紹介するのは百科事典の役割ではないと思います。コピペで上げ底してもGoogleヒット数300ちょっとの新興宗教のためにそこまでする必要はないかと。宗教関連の公的機関による統計では見たことないし。--6144 2006年1月6日 (金) 01:59 (UTC)
(いかなる改変も認めると明言がない限り削除)(保留)ウィキペディアは布教の場所ではありません。初版執筆者がGFDLを理解しているとは思えないため、削除で。誤解に基づく許諾は無効とすべきではないでしょうか? 彼が「いかなる改変も認める。ほかの執筆者が外部リンクに名も無き貧しき会のURLを加えることや、奇跡が後任司教により否定され当該修道女が追放されたことを加筆することも拒否しない」と明言しない限り削除し、Nekosuki600さんのような中立的な文章を再投稿で。「私の文章を復帰しなさい」というコメントを見ても、当該ホームページ作成者がいかなる改変をも認めるというGFDLの条件を受け入れるとは到底思えません。--miya 2006年1月3日 (火) 07:35 (UTC)GFDLについて確認済むまで保留とし、打消し線を入れました。--miya 2006年1月3日 (火) 14:44 (UTC)- (コメント)詳細は当該項目のノートに書いておきますが、対立当事者二者ともに「奇跡の否定」をしているようには見えません。奇跡の存否を巡って対立があるわけじゃないんだと思いますよ。なんかこの内容に関してのMiyaさんの理解は、どこかで決定的なボタンのかけちがいをしているように思う。--Nekosuki600 2006年1月3日 (火) 08:09 (UTC)
- (保留)GFDLについては、ここでもめても不毛なので本人に向けて、メール出します。続きの経緯があれば、当該項目のノートに書きます--すぐり 2006年1月3日 (火) 09:26 (UTC)
- (コメント)ここで議論すべきは、この記事が無断転載であるかどうかであって、それは既に結論が出ているのではないでしょうか? 「投稿者がGFDLを理解しているかどうか」は、現時点では、編集ページの注意書きにあるとおり、『すべてGFDLによって発行し、かつ、GFDLをウィキペディアにおいて適用した場合の解釈についてはWikipedia:著作権の通りであることを宣言したものとみな』す他なく、もし今後、219.200.40.50さんがGFDLを理解しない行動、あるいは中立的な観点での編集を妨害する行為に出るとすれば、それはその時に対処すべきことだと思います。--Nishibe 2006年1月3日 (火) 15:00 (UTC)
- (コメント)みなしGFDLの場合、若干疑義があります。ほかの削除されたものの議論にもかかわりますので、Wikipedia‐ノート:履歴に書かせていただきました。ご意見をお待ちしています。竹麦魚(ほうぼう) 2006年1月3日 (火) 22:50 (UTC)
- (コメント)まず事実を確認、「原則として「中立的な視点」を理由とする削除はできない。」というMametaroさんの主張は正論です。中立性に問題のある記事は編集によって対処すべきです。ところで、GFDLが著作権法に優先する、という法的な根拠は今のところ存在せず、この点を確認するためには実際に裁判沙汰となり、判決が確定するのを待たなければなりません。
もし初版投稿者がGFDLを理解せず投稿し、文章の改変や転載、商利用などに同意できない、というのであれば、それは投稿者自身の過失です。しかし、そうした小さな過失を理由に、強引にGFDL下に置くならば、それは争いの元となるだけです。実際に裁判所で争われたならGFDLの優位性が確定する、というのであれば存続でも良いとは思うのですが、私にはそんな確信はありません。ですので、改めて初版投稿者にGFDLのなんたるかを説明し、存続/削除の判断は初版投稿者に任せるのが良いものと思います。--Rigel 2006年1月4日 (水) 01:37 (UTC)- 補足:「すでに投稿してしまったのだからGFDLとして扱うべきである」というのは強者の理論です。しかし実際の裁判となると、現在の日本では弱者を救済する判決が示される傾向にあります。従って、本人が存続を望まないのに存続とした場合、裁判を起こされたならば、十中八九wikipedia側が敗訴することになるでしょう。本人が存続の意思を示さない限りは削除した方が無難です。Rigel 2006年1月4日 (水) 04:07 (UTC)
- (コメント)著作権法とGFDLが衝突するなら、当然に著作権法が優先します。GFDLは、著作権法と衝突するものではありません。弱者救済の傾向というのは法的根拠にはなりません。似た根拠としては説明義務違反がありそうなものですが、「あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。」の一文が編集画面に太字であります。また、現時点で初版執筆者は削除に抗議していることも考慮してください。Kinori 2006年1月4日 (水) 04:30 (UTC)
- (コメント)初版投稿者が本当にGFDLを理解し、その上で存続を主張するのであれば、ホームページから"Copyright (C)"の表記が撤去されてもおかしくはないはずです。もしくは、転載されたページのみ「このページの内容はGFDL下に置かれました」のような宣言がなされているとか…。しかし現状は、著作権を主張しながら、言論の自由を理由にGFDL下の投稿のみ受け付けるwikipediaを非難する。こうした言動をどう理解したら良いのでしょう?。また、Kinoriさんご自身がおっしゃるように、「当然に著作権法が優先します」というのが事実であれば、現状では同一性保持権(著作権法)を理由に幾らでも難癖つけることが可能なのですが?。Rigel 2006年1月4日 (水) 05:28 (UTC)
- (コメント)
何を勘違いなさっているのでしょうか。GFDLはあくまで著作権を根拠とする契約であって、著作権を放棄すればGFDLも効力を失います。GFDLは排他的ライセンスではありませんのでデュアルライセンスすること――つまり、ウィキペディアにおいてはGFDLで公開し、外部のウェブサイトではクリエイティヴ・コモンズで公開する、など――が可能です。--Brevam 2006年1月4日 (水) 07:41 (UTC)--私の誤解に基づく発言であり撤回します--Brevam 2006年1月4日 (水) 08:48 (UTC) - (コメント)GFDLはデュアルライセンス可能です。それと、同一性保持権についての条文には「その意に反して」変更されないとありますが、後から取り消す権利までは認めていません。ところで、GFDLが無効だというのはとても重大な指摘です。もしそれが本当なら、現行の削除基準はまったく的外れということになりましょう。このような個別の審議の場ではなく、別にノートで削除基準の変更を提案してはどうでしょうか。Kinori 2006年1月4日 (水) 14:48 (UTC)
- (コメント)
- (コメント)初版投稿者が本当にGFDLを理解し、その上で存続を主張するのであれば、ホームページから"Copyright (C)"の表記が撤去されてもおかしくはないはずです。もしくは、転載されたページのみ「このページの内容はGFDL下に置かれました」のような宣言がなされているとか…。しかし現状は、著作権を主張しながら、言論の自由を理由にGFDL下の投稿のみ受け付けるwikipediaを非難する。こうした言動をどう理解したら良いのでしょう?。また、Kinoriさんご自身がおっしゃるように、「当然に著作権法が優先します」というのが事実であれば、現状では同一性保持権(著作権法)を理由に幾らでも難癖つけることが可能なのですが?。Rigel 2006年1月4日 (水) 05:28 (UTC)
- (存続)執筆者にGFDLについて確認を行い、許容できないなら本人に削除依頼を出してもらう。取り下げない時はライセンスに沿って対処。--MT.Stone 2006年1月4日 (水) 02:35 (UTC)
- (コメント)メール出しましたのでご報告です。上の方に保留票だしましたが、確認を行うと発言してる方に一言だけ。今回のメールは私が個人としてメール出しましたが、くれぐれもsysopの仕事として出したのではないということは断っておきます。--すぐり 2006年1月4日 (水) 03:28 (UTC)
- (存続、ただし全面改稿)投稿者からのメールによれば、GFDLは理解するが、文書を修正されるのはうれしくない、掲載も辞退したい、という意向のようなので、「存続」としながらも、一旦白紙化し、Nekosuki600さんの文案のような中立的な文章に置き換えるのが、投稿者・ウィキペディア双方によい結論となるだろうと思います。こうすれば、初版を全く修正されない状態のまま残すことが出来ます。--miya 2006年1月9日 (月) 07:36 (UTC)
- (削除)メールのやりとりが数通ありました。GFDLでの公開は了承の元とのことですが、ウィキペディアとしては、このあと禍根を残すよりは、現状他の加筆もないことですし本人依頼として削除できないでしょうか? 公開前提でとお願いしていたので、私からのメールも含め全てML[6]に転送していますのでご査収願います。--すぐり 2006年1月9日 (月) 15:17 (UTC)
- (削除)学術的な論争であれば中立的な観点による記事化も可能だと思うが、そうではない論争中の出来事であり、記事を論争の舞台とするのは避けるべき。現在記事上で論争になっていないのは転載で削除になってきたからであり、不幸中の幸いと思われる。johncapistrano 2006年1月9日 (月) 15:46 (UTC)
- (存続)端くれの錬金術師さんの意見に同意。johncapistranoさんの意見に従うと論争となっている事項は記事にできなくなると思います。―霧木諒二 2006年1月10日 (火) 05:00 (UTC)
- (コメント)メールのやり取りを読んだ上で改めて存続を表明します。白紙化の上で書き直しというmiyaさんの提案に賛成します。--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年1月10日 (火) 15:45 (UTC)
- (作者101NLNよりコメント)
読ませていただいたが、このウィキペディアというシステムはまだ未成熟で問題もあると感じた。
というのは、記載された記事について、一定の完成ということが期待できないからだ。絶えず自由に入ってくるならば、 いつまでたっても意地の張り合いになる可能性が大きい。 また、善人ばかりならまだしも、悪意を持った嫌がらせの人間が入り込んだら、疲れるばかりの議論に巻き込まれる。
システムの脆弱性がどこにあるのかをキチンと識別して、改善を行い、必要な知識を保有する人々が参加を真に望める、 真に喜ばれる参加型辞書を目指してほしい。 そうでなければ、あえてこのような面倒くさいことを続けてトラブルを生んで遊んでいると思われても仕方ない。
何か、他の意図でもあるのではないかと私たちは感じるのだ。 なぜなら、結果的に、現状のようなシステムでは混乱し、疲労するだけでよい結果が期待できず、信頼でき、安定した 情報源とはなりえないだろうからだ。 信頼できる安定した、あるいは意外な発見がある情報源であり、情報の引用によって良い結果が生まれることこそ、 辞典の利用者の真のニードだ。
投稿した以上、GFDLのルールのもとであったことは当然で、それは愚問と言える。 しかし、実際参加してみて、GFDLの規定では止めることのできない妨害や、管理者の判断のミスに対する責任の所在、 制裁のルールなど問題点を感じたので、今回のGFDLでの掲載は辞退させていただく。 今回のような善人を装った言論への妨害工作といえる監視者の介入は、予測できないことだった。
私は思うのだが、よほど内容に問題が多い、あるいは嘘が多い場合をのぞいて、投稿者の記事は修正せず、なお、それに 付け加えたり、修正を望むものは、並記して書き連ねていけばいいのではないか。
ひとつの項目について(例えば”キリスト教”)、投稿者が何人かいて、様々な側面からの解説が並んであったとしても、 それは情報の豊かさを示すものであって、情報の取捨選択は受け取り手が行えばいい。
そうすれば、言論の自由と選択の自由を保障できるし、重要な情報が悪意のある参加者によって改変されないで済む。 複数の投稿者の解説を並べていったらどうだろうか? 一つの情報を直していくと言うのは、熟練して精通した人々の間でしか、対話が成立しない。 妨害目的や安易な考えの人間が混じると、掲載記事が混乱してしまう。
投稿を並記して、ひとりひとりの記事を守るべきだ。管理者は、法的あるいは虚偽について監視すればそれでいいではないか。ニードから出発しなければ、辞典の存在価値はない。(Wrote by Francis "101 New Life Network ")
--219.200.40.50 2006年1月12日 (木) 14:57 (UTC)署名追加--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年1月12日 (木) 15:07 (UTC)
票のまとめ
- 存続 - 11 (スゥ、Kinori、Hiro36、Nekosuki600、端くれの錬金術師、Kstigarbha、Nishibe、Brevam、MT.Stone、miya、霧木諒二)
- 削除 - 5 (NiKe、Lcs、6144、すぐり、johncapistrano)
- (存続)転載の疑いが無くなったようなので。外部サイトの著作権を守る上でも投稿者の確認がきちんと取れないものは依頼にかけられるべきです。指摘により安全性が確認できればそれはそれでよいので。たね 2006年1月13日 (金) 15:42 (UTC)
- (終了)転載のおそれは解消されたため削除しないことにしましょう。修正に伴う編集合戦などは話し合いか保護依頼で対応を。sphl 2006年1月15日 (日) 04:57 (UTC)
上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論は当該ページのノートか、復帰依頼で行ってください。再度削除依頼する場合は削除依頼ページを別名で作成してください。