前田直方
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前田 直方(まえだ なおただ、寛延元年(1748年) - 文政6年(1823年))は江戸時代の人物。加賀八家筆頭前田土佐守家の6代目当主。父は土佐守家5代・前田直躬。兄二人がいる。子は前田直養など。土佐守家7代・前田直時は孫である。幼名、母の名は不明。通称は九八郎、内匠、三左衛門など。官位は父と同じく従五位下土佐守。宝暦13年(1763年)元服し、家禄11000石とは別に2500石を新規に与えられ出仕した。安永3年(1774年)、27歳で家督を相続。土佐守に叙任され直之系前田氏当主で二人目の土佐守となった。孫の直時も土佐守となっており、三代続いての土佐守叙任により前田土佐守家との通称が確定した。
[編集] 人物像
父に似て好学の人物、文人であり、著述家としてのクォンティティは父をも遥かに凌ぐ。 生涯に書き著した随筆の数は百を超える。 有沢流兵学の秘伝を伝承された兵学者でもあり、軍事にも通じていた。 藩校経武館の看板を揮毫しているが、この役を果たしたのは彼が文人のみならず兵学者であったがゆえであろう。このほか家臣とともに金沢城下の測量を行うという業績も残している。 政治手腕、思想は父に似ていたようであるが、二度にわたって挫折し、結局成果を残せず引退している。
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