北の洋昇
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北の洋昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日-2002年1月8日)は、北海道網走市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。本名は緒方昇。
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[編集] 来歴
1940年1月場所初土俵。幸いにも兵役にとられることなく、着実に昇進し、1948年10月場所に新十両となった。一度幕下落ちなどして、新入幕は1950年9月場所。初土俵から10年経過していた。しかし、出世がゆっくりだった分、幕内では長く定着し、1962年3月場所限りで引退したときは、39歳と、丈夫で長持ちを実証する形であった。
相撲ぶりは左差しで一気に前に出る相撲が「白い稲妻」という異名をとるほどの鋭さであり、軽量横綱であった栃錦清隆や若乃花幹士は苦杯を喫することがしばしばあった。有名なのが、1958年9月場所初日の栃錦戦で、もつれた相撲で行司の式守伊之助が涙の抗議をしたほどであった。同僚の時津山仁一・若羽黒朋明・安念山治とともに立浪四天王と呼ばれ、上位陣をしばしば苦しめた。金星10個は当時の最高記録であった。
引退後は年寄・武隈を襲名し、協会理事や監事を歴任し、春日野理事長の体制を支えた。1988年1月場所後に定年を迎え、娘婿の元関脇・黒姫山の北陣親方に年寄・武隈の名跡を譲った。定年後は、本名の緒方昇の名で、NHKの相撲解説を勤めた。
[編集] 主な成績
- 幕内成績:368勝388敗24休
- 幕内在位:52場所
[編集] 三賞・金星
- 三賞:殊勲賞4回、敢闘賞1回、技能賞5回
- 金星:10個
[編集] 関連項目
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カテゴリ: 北海道出身の大相撲力士 | 1923年生 | 2002年没 | 相撲に関するスタブ