立浪部屋
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現在の部屋は春日山部屋所属だった、4代立浪の緑嶌友之助が大正時代に創設。二人の横綱双葉山定次、羽黒山政司ら多数の関取を育てた。
4代立浪が1952年に死去すると、4代立浪の娘婿で第36代横綱の羽黒山政司が二枚鑑札で部屋を継承して5代立浪となった。5代立浪は師匠として、先代から引き継いだ安念山治、北の洋昇、時津山仁一、若羽黒朋明の立浪四天王を育て、その後も幕内優勝をした若浪順が出た。
5代立浪が1969年に死去すると、5代立浪の娘婿で安念山治改め羽黒山礎丞が大関・若羽黒と部屋の継承争いをして、後継者の座を勝ち取り6代立浪となった。旭國斗雄を大関に、双羽黒光司を横綱に育てたが、双羽黒が意見の相違から部屋関係者に暴行の末廃業するという前代未聞の事件を起こし、それ以後は部屋の勢いが薄れてしまった。
6代立浪が1999年2月に定年を迎えると、その直前1月場所途中に引退していた6代立浪の娘婿で大島部屋所属の小結・旭豊勝照が部屋を継承して7代立浪となった。ここでも先代と意見の相違から年寄株問題で裁判沙汰になるなどトラブルの多い部屋であるとの印象がついてしまった。現在は、部屋再興にむけて7代立浪の現親方が努力を続けている。ここ数年は関取がいなかったが、モンゴル出身の猛虎浪栄が2006年1月場所に十両に昇進し、現在は新入幕目前の地位にまで番付を上げている。
目次 |
[編集] 立浪親方
- 緑嶌友之助(元小結・富山)
- 羽黒山政司(元横綱・新潟)
- 羽黒山礎丞(元関脇・北海道)
- 旭豊勝照(元小結・愛知)
[編集] 横綱・大関
- 横綱
- 双葉山定次(35代・大分)
- 羽黒山政司(36代・新潟)
- 双羽黒光司(60代・三重)
- 大関
[編集] 幕内
- 関脇
- 小結
- 平幕
- 愛知山春雄(愛知)
- 池田川助枩(大分)
- 追手山貢(青森)*追手風から移籍
- 大岩山大五郎(東京)
- 大ノ濵勝治(千葉)
- 大昇充宏(長野)*春日山から一時在籍
- 大日ノ出崇揚(兵庫)
- 大八洲晃(富山)
- 北ノ國仁(北海道)
- 君錦利正(千葉)
- 清惠波清隆(石川)
- 兼六山鉄太郎(石川)
- 小坂川健三郎(秋田)
- 小嶌川庄吉(東京)
- 大翔山直樹(石川)
- 立田野邦清(石川)
- 立洸熊五郎(北海道)
- 劔岳吉五郎(富山)
- 照の山栄一(千葉)
- 豊登道春(福岡)
- 七ッ海操(茨城)
- 平鹿川泰二(秋田)
- 双見山一夫(大分)
- 緑國政雄(東京)
- 緑嶌英三(北海道)
- 吉野山要次郎(富山)
- 若浪義光(南樺太)
- 雷ノ峯伊助(神奈川)
- 凌駕精考(北海道)
[編集] 十両
- 江戸響博昭(東京)
- 大獅子耕蔵(大阪)
- 河内山一夫(大阪)
- 北吹雪弘士(北海道)
- 黒田山昭二(福岡)
- 玄武満(北海道)
- 佐久昇染太(長野)
- 翠竜輝嘉(千葉)
- 田代岩弘道(北海道)
- 立富士祐司(静岡)
- 筑後山一政(福岡)
- 天地山人(大阪)
- 西中憲四郎(兵庫)
- 能登ノ山竜三(石川)
- 羽咋山勝久(石川)
- 花筏健(山形)
- 福緑正義(北海道)
- 双筑波勇人(茨城)
- 松惠山邦治(宮崎)
- 松嶋市平(東京)
- 緑岩三郎(富山)
- 三山貞次(山形)
- 猛虎浪栄(モンゴル)