北条宗宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、正元元年(1259年) - 正和元年6月12日(1312年7月16日))は、鎌倉幕府第11代執権(在職 1311年 - 1312年)。北条宣時(大仏宣時)の子。大仏 宗宣(おさらぎ むねのぶ)とも称される。
1286年に引付衆、1297年から六波羅探題南方に就任し、1302年まで在京。1305年に連署となる。
1311年執権に就任したが、内管領長崎高綱に実権を握られ、政治をみることができなかった。翌年執権職を北条煕時に譲り、出家した。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
- 年月日不詳、式部少丞に任官。
- 年月日不詳、上野介に転任。
- 1286年(弘安9)、幕府の引付衆と就る。
- 1296年(永仁4)、引付頭人と就る。
- 1297年(永仁5)7月10日、六波羅探題南方と就る。
- 1300年(正安2)、評定衆も兼務。
- 1301年(正安3)、9月27日、陸奥守に転任。
- 1302年(乾元元)1月17日、六波羅探題退任。
- 1305年(嘉元3)7月22日、評定衆から連署に異動。
- 1311年(応長元)10月3日、執権と就る。
- 1312年(正和元)5月29日、執権退任。 6月12日、卒去。 法名:順昭。
※位階は従四位下まで昇叙しているが、その叙位昇進過程は不詳。
鎌倉幕府執権 | |
---|---|
北条氏 時政 | 義時 | 泰時 | 経時 | 時頼 | 長時 | 政村 | 時宗 | 貞時 | 師時 | 宗宣 | 煕時 | 基時 | 高時 | 貞顕 | 守時 |