千本為隆
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千本 為隆(せんぼん ためたか、生没年不詳)は、那須氏初代当主那須資隆(太郎)の十男。那須七騎千本氏の祖。十郎、那須為隆とも。
治承・寿永の乱では、九人の兄達は皆平氏方に付いたが、弟の那須与一と共に源頼朝の源氏方に加わった。しかし、後に頼朝の弟の源義経の命に背き、罪を得たため、家督を継ぐ事はなく、一時期信濃に逃れ、戸福寺氏を称していたが、罪を許されると、下野国千本の地を賜り、千本氏を称する様になった。建久年間(1190年-1198年)に千本城を築城。
源平盛衰記においては、弟の与一をしのぐほどの弓の名手であり、屋島の戦いにおいて扇を射ることを義経から命令されたが、戦傷のため固辞し弟の与一を推挙している。
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