千歳 (空母)
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千歳(ちとせ)は、旧日本海軍の航空母艦。当初は水上機母艦として建造されたが、太平洋戦争中に空母に改装された。姉妹艦は千代田。
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[編集] 概要
千歳型航空母艦は当初、ロンドン海軍軍縮条約により空母保有数が制限されていたため後々空母に改装することを念頭におき、水上機母艦兼高速給油艦として設計・建造された。 当初から空母に改装することを前提にしていた本型艦は、艦中央部に強度試験用に高い天蓋が設けられなど特異な艦型となるにいたった。 速力も速く空母機動部隊に加わっての第一線機を運用するに足りる最少の能力を持っていた。 しかし当初は条約規制で最高速力が20ノット程度に想定されて設計されたにも関わらず、建造途中で条約失効後に完成することを見越し、設計速力を29ノット以上に引き上げた。 このため設計上の機関出力では後々の空母改装における最高速度の維持が困難となり、当初の艦本式ディーゼルと高速用タービンエンジンのみの仕様に加えて巡行用のタービンエンジンを追加するという、非常に複雑な機関配置となるにいたった。 改装に至る背景で外観が龍鳳型・祥鳳型の両空母に酷似しているのが本型艦の特徴の一つだと言えよう。 空母改装の着手がミッドウェー海戦後であったため登場時期が遅きに失し、昭和19年6月に僚艦の千代田とともにマリアナ沖海戦に参戦、同年10月25日、レイテ沖海戦で千代田と共に米空母艦載機の猛攻を受け、エンガノ岬沖に戦没した。