古村啓蔵
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古村啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。
長野県出身で海軍兵学校卒(45期)。同卒には坊の岬沖海戦時に共に戦った戦艦「大和」艦長有賀幸作大佐。第二艦隊参謀長森下信衛少将が有名である。
[編集] 経歴
重巡洋艦「筑摩」艦長。真珠湾攻撃、南太平洋海戦参加。その後戦艦「扶桑」艦長。1943(昭和18)年6月8日柱島泊地の戦艦「扶桑」を離れた。6月9日戦艦「武蔵」第2代艦長就任。6月24日昭和天皇、戦艦「武蔵」に行幸。11月1日少将に進級。12月6日~1944(昭和19)年10月1日 第三艦隊参謀長就任。空母「翔鶴」赴任。第二水雷戦隊司令官。4月6日天一号作戦発動。軽巡「矢矧」に乗って出撃。4月7日坊の岬沖海戦にて軽巡「矢矧」沈没。海に投げ出されていた所を駆逐艦「初霜」に救助される。その後は横須賀鎮守府参謀長就任して終戦を迎えた。