吉田神社
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吉田神社 | |
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![]() 斎場所大元宮 |
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所在地 | 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30番地 |
位置 | 北緯35度01分31秒 東経135度47分05秒 |
主祭神 | 健御賀豆智命 伊波比主命 天之子八根命 比売神 |
社格等 | 二十二社・官幣中社・別表神社 |
創建 | 貞観元年(859年) |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 4月18日 |
主な神事 | 節分祭 |
吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。
目次 |
[編集] 祭神
春日神である建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひめのかみ)を祀る。
[編集] 由緒
貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。延喜式神名帳への記載はない(式外社)が、永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田氏)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として1484年、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。近世始めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(現在はない)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。吉田家は全国の神社の神職の任免権などを持ち、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。
[編集] 祭事
2月2-4日の節分大祭が有名。
[編集] 施設
[編集] 摂社
- 若宮社(祭神:天忍雲根命)
- 春日大社にも天忍雲根命を祀った若宮神社がある。
- 神楽岡社(祭神:大雷神、大山祇神、高龗神(2文字目は「雨」の下に「口口口」、その下に「龍」)
- 地域の地主神で、延喜式神名帳に記載のある霹靂神だと言われている。例祭は9月23日で神幸祭が10月最終日曜に行なわれる。
[編集] 末社
- 斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう、祭神:天神地祇八百万神)
- 延喜式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀る。八角形の本殿に六角の後房を付けた、極めて特異な形状をしており、重要文化財に指定されている。
- 神龍社(祭神:吉田兼倶(神龍大神))
- 永正10年(1513年)に創建。例祭日は2月19日。
- 今宮社(祭神:大己貴神・大雷神・健速須佐之男命)
- 社殿内と境内に、四神を配した石がある。
- 祖霊社(祭神:講員の祖霊)
- 菓祖神社(祭神:田道間守命、林浄因命)
- 菓子の神(菓祖)として製菓業者の信仰を集める。
- 山蔭神社(祭神:藤原山蔭、相殿:恵比須神)
- 藤原山蔭は吉田神社の創始者で、料理人。自身も料理の神として信仰を受けている。
- 三社社(祭神:多紀理毘売命、狭依毘売命、多岐津毘売命、金山毘古命、金山毘売命、菅原神)
- 竹中稲荷神社(祭神:宇賀御魂神、猿田彦神、天鈿女神)
- もとは独立した神社。吉田神社の末社となった。
- 摂末社:稲荷社、稲荷塚計50基(社)以上
- 摂末社:天満宮社(祭神:菅原道真)
ほか多数ある
[編集] その他の施設
- 吉田幼稚園
[編集] 文化財
[編集] 建築物
[編集] その他
京都大学吉田キャンパスに隣接している。京大志望の受験生が吉田神社に合格祈願に行くと必ず落ちるという都市伝説が定着している。
[編集] 交通
- 最寄駅:京阪出町柳駅
- 駐車場:有り
[編集] 外部リンク
- 吉田神社(公式サイト)
[編集] 関連項目
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