喜連川縄氏
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喜連川 縄氏(きつれがわ つなうじ)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第12代藩主。名は、つぐうじとも言う。
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時代 | 江戸時代末期(幕末)、明治時代 | |||
生誕 | 天保15年4月7日(1844年5月23日) | |||
死没 | 明治7年(1874年)3月2日 | |||
別名 | 余一麿(幼名)、徳川昭縄、 足利縄氏(別名) |
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戒名 | 瑞光院殿艮山仁公大禅大門 | |||
官位 | 左馬頭 | |||
藩 | 下野喜連川藩主 | |||
氏族 | 徳川氏、喜連川氏 | |||
父母 | 父:徳川斉昭、養父:喜連川宜氏 | |||
兄弟 | 徳川慶篤、池田慶徳、徳川慶喜、 松平直侯、池田茂政、松平武聰、 喜連川縄氏、松平忠和、土屋挙直、 徳川昭武、松平喜徳、松平頼之 |
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妻 | 正室:松前崇広の娘・武子 | |||
子 | 足利於菟丸、亀三郎、順子 養子:足利聡氏 |
天保15年(1844年)4月7日、水戸藩主・徳川斉昭の11男として生まれる。文久2年(1862年)、喜連川藩主の喜連川宜氏が若死にしたため、その養子として後を継ぎ、左馬頭に叙任する。明治元年(1868年)、足利に復姓する。明治2年(1869年)5月5日、病気を理由に養子の聡氏(嫡男の於菟丸はまだ生まれていなかった)に家督を譲って隠居し、明治7年(1874年)3月2日に死去した。墓所は栃木県さくら市の竜光寺。
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