四式重爆撃機
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四式重爆撃機『飛龍』(よんしきじゅうばくげきき・ひりゅう)は、大日本帝国陸軍が採用した重爆撃機で、実戦で使用された重爆撃機としては最後に開発された機体である。制式採用は1944年(昭和19年)。三菱重工業によって開発された。開発番号は、キ-67。連合軍によるコードネームは『Peggy』。
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[編集] 傑作重爆撃機
陸軍が最後に開発した双発重爆撃機だけあって、日本航空機開発技術の集大成と呼ぶに相応しい傑作機である。ほぼ同時期に正式採用された海軍の陸上攻撃機『銀河』に比較し、同じ双発機でカタログデータ上はほぼ同スペックであったが、実戦での運用時における活躍には雲泥の差があり、エンジン(誉エンジン)の故障が多く、実験機あがりのデリケートな機体構造のため大量生産に向かなかった『銀河』に比べ、設計当初から生産性を考慮し、比較的信頼性の高いエンジンを搭載した本機は、戦争末期の戦場で充分な活躍を見せた。
また、本機を改造して75mm高射砲を装備した特殊防空戦闘機(キ-109)が試作されたが、航空機に高射砲を装備するというやや無理のある計画がなされたのも、母体となった本機の性能が優秀であったからと思われる。
[編集] 驚異の運動性能
日本陸軍重爆撃機の伝統に漏れず、本機も重爆撃機と名称されていながら爆弾の搭載量が低かった。 しかし、本機以前に開発された重爆撃機が、その爆弾搭載量の少なさから充分な活躍ができなかったのに対し、本機はそれを補って余りある飛行性能を有していたため、実戦で際立った活躍を見せる事ができた。特に運動性能は単発機並と評され、爆弾を搭載していない状態であれば曲芸飛行もできると言われた。
[編集] 隠れた長所・航続距離
他の性能に隠れて見逃されがちであるが、本機の隠れた長所として、長大な航続距離が挙げられる。日本陸軍はこの時期においても爆撃機の航続力を軽視していたのか、当初メーカー側に示された要求では、航続距離に関しては平凡な性能しか求めていなかった。しかし、三菱側はそれまでの経験から航続距離の重要性を認識しており、開発に当たって軍の要求を上回る目標を独自に掲げたと言われる。結果、それまでの陸軍爆撃機が軒並み2,000km前後だったのに対し、『飛龍』はこれを大きく上回る3,800kmの航続力を獲得する事となったのである。これによって運用の幅が広がり、海軍にも注目されることとなった(後述)のだから、メーカーの機転の勝利と言えるだろう。
(ただし、一代前の『呑龍』の開発の際、陸軍が「3,000kmを上回る航続距離」を求めたという説もあり、真偽については不明の点もある。)
[編集] 陸軍機による雷撃
その飛行性能から、陸軍機でありながら魚雷を搭載できるように、雷撃機型に改良された機体もあり、台湾沖航空戦、フィリピン攻防戦、九州沖航空戦、沖縄戦(菊水作戦)などにおいて、海軍指揮下の陸軍雷撃隊として艦船攻撃に活躍した(大部分は夜間雷撃であった)。
なお、海軍では、海軍指揮下の陸軍雷撃隊に所属した雷撃機型の四式重爆撃機「飛龍」のことを、「靖国」という名称で呼んでいたが、これは海軍部隊内部における非公式な通称であり、正式なものではない。
[編集] 『新幹線』のモデル
戦後四式重爆撃機の開発に関った技術者は、夢の弾丸列車と呼ばれた新幹線の車体設計・開発に関っている。新幹線『0系』のデザインは、海軍の爆撃機『銀河』と共に車体デザインの参考とされ、本機で培われた技術は戦後復興に大きく貢献されている。
[編集] 主要諸元
- 全幅:22.5m
- 全長:18.7m
- 主翼面積:65.0㎡
- 発動機:ハ-104空複星18気筒2000hp
- 全備重量:13,765kg
- 最大速度:537km/h
- 航続距離:3,800km
- 武装:20mm機関砲×1・12.7mm機銃×4・爆弾800~1000kg・魚雷×1
- 生産機数:697機
[編集] 関連項目
カテゴリ: 大日本帝国陸軍航空機 | 爆撃機