銀河 (爆撃機)
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銀河(ぎんが)は大日本帝国海軍(以下、海軍)の双発爆撃機。海軍の航空機関連技術開発を統括する航空技術廠(以下、空技廠)が開発し、一式陸上攻撃機の後継機として太平洋戦争後半の戦いに投入された。連合国軍によるコードネームは「Frances」。
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[編集] 開発の経緯
昭和14年頃、空技廠は速度記録機Y10、航続距離記録機Y20、高度記録機Y30の研究を行っていたが、その後の国際情勢の悪化に伴い、Y10とY30は計画中止され、Y20をベースにドイツから輸入したJu 88 Aに使用されている技術を導入する(実際にはほとんど参考にならなかった)ことで高性能爆撃機を開発することとなり、昭和15年末に「十五試陸上爆撃機」として開発が命じられた。開発主務者は艦上爆撃機「彗星」の設計主務者を務めた山名正夫技師。
[編集] 設計の特徴
十五試陸爆に対する海軍からの要求は、纏めると概ね下記の様なものだったとされる。
この要求に対し、設計主務者の山名正夫技師は以下のような手法を採用し、昭和17年6月から完成し始めた試作機に海軍からの要求を概ねクリアーする高性能を発揮させることに成功した。
- 当時まだ試作段階であった小型高出力エンジンの誉を日本軍機の中でもっとも初期に採用。
- 搭乗員の3名(操縦員、偵察員、電信員。通常の双発爆撃機ではこれに副操縦士と機銃員数名が加わる)への削減、防御火器の極限等により機体の小型・軽量化、空力学的洗練に努める。
- 艦上爆撃機「彗星」と同様の手法を主翼やフラップ、急降下抵抗板に採用し、空気抵抗の極限に努める。
- 操縦員や戦闘・離脱時に使用する燃料タンクに防弾装備を設計段階から施し、一式陸上攻撃機で問題となった脆弱性の克服に努める。
[編集] 実戦
- 昭和19年10月に陸上爆撃機「銀河」(P1Y1)として制式採用されたが、実際にはその1年以上前に最初の実戦部隊(第五二一航空隊)が開隊していた。第五二一航空隊はマリアナ沖海戦とニューギニア戦線に投入されたが、アメリカ海軍の猛攻により壊滅した。
- その後も台湾沖航空戦、レイテ戦、九州沖航空戦、沖縄戦等に投入されたが、高性能を活かせる搭乗員の不足と圧倒的な戦力差のため、大きな戦果を上げるには至らなかった。
- 銀河による戦果としては、1945年3月に実施された丹作戦(ウルシー環礁のアメリカ艦隊奇襲攻撃)において、二式大型飛行艇に誘導された梓特別攻撃隊の銀河24機が九州の鹿屋基地から長駆2300kmを飛行した後、薄暮特攻攻撃を決行、エセックス級空母「ランドルフ」を大破させたことと、同じく1945年3月の九州沖航空戦時に第五航空艦隊第七六二航空隊の銀河1機が、急降下爆撃により四国南方沖でエセックス級空母「フランクリン」に250kg爆弾2発を命中させて、同艦を沈没寸前まで追い込んだことが有名。
- 銀河の高度計には30m以上の誤差があり薄暮攻撃には常に危険がつきまとった。丹作戦では低空で敵を探すうちに海面に突入する機が相次いだ。
- 現用の夜間戦闘機「月光」より高速かつ搭載能力に優れていたことから、20mmまたは30mm斜銃を装備した夜間戦闘機型が作られた。夜間戦闘機型は主に第三〇二航空隊に配備され、B-29の夜間迎撃で活躍した。
- 高性能を追求した本機の機体やエンジンの構造は複雑なものであり、生産性・整備性はあまり芳しいものではなかった。特に搭載エンジンの誉の故障が多く、稼動率の低下に拍車をかけ、搭乗員や整備員にとって大きな負担となったが、一式陸上攻撃機に代わる主力爆撃機として終戦まで戦い続け、最終的に約1,100機の銀河が生産された。
- 戦後、銀河設計陣の一人であった三木忠直は、初代新幹線「0系」の開発にあたり、銀河の胴体形態をデザインモチーフに用いたと証言している。なお、アメリカ軍により戦後接収された銀河が1機だけスミソニアン博物館に分解保存されている。
[編集] 派生型
銀河の主要な派生型には以下のようなものが存在するが、この他に爆弾槽に下向きの20mm斜銃を10数挺備えた襲撃機型や試作ジェットエンジンのテストベット型が作られ、また桜花母機型も計画されていた。
- 十五試陸上爆撃機(P1Y1)
- 誉一一型(離昇1,825馬力)を装備した試作型。
- 一一型(P1Y1)
- 高々度性能を向上させた誉一二型を装備した量産型。旋回機銃は機首、後部とも20mm。後期の機体では風防形状を変更し、H-6型レーダーを追加した。後部旋回機銃を20mmから13mmに変更した一一甲型(P1Y1a)も生産され、後部旋回機銃を13mm連装に変更した仮称一一乙型(P1Y1b)、仮称一一乙型の機首旋回機銃を13mmに変更した仮称一一丙型(P1Y1c)も試作された。
- 一六型(P1Y2)
- 発動機を火星二五型に変更した型。試製極光(後述)からの転用。一一型と同じ武装変更を施した仮称一六甲型(P1Y2a)、仮称一六乙型(P1Y2b)、仮称一六丙型(P1Y2c)も試作された。
- 仮称一三型(P1Y3)
- 発動機を誉二一型(離昇1,990馬力)に変更した試作型。
- 仮称一二型(P1Y4)
- 発動機を燃料噴射装置を追加した誉二三型(離昇1,990馬力)に変更した試作型。
- 仮称一四型(P1Y5)
- 発動機をハ四三-一一型(離昇2,200馬力)に変更した試作型。
- 仮称一七型(P1Y6)
- 一六型の発動機を火星二五丙型に変更した試作型。
- 仮称三三型
- 胴体を太くして副操縦員席を追加した型。発動機は誉二一型。設計中に終戦。
- 試製極光(P1Y2-S)
- 銀河をベースに開発された夜間戦闘機型。火星二五型への発動機変更、20mm斜銃2挺及びレーダーの追加等の改修が川西で施されたが、夜間戦闘機としては性能が不足していたため夜間戦闘機として使用されたのは極一部で、大半が一六型に改修された。これとは別に、一一型に20mm斜銃2挺または30mm斜銃1挺を追加した改造夜間戦闘機が第三〇二航空隊で使用されている。
[編集] 諸元
制式名称 | 銀河一一型 | 銀河一六型 |
機体略号 | P1Y1 | P1Y2 |
全幅 | 20.0m | 20.0m |
全長 | 15.0m | 15.0m |
全高(水平) | 5.3m | 5.3m |
自重 | 7,265kg | 7,138kg |
過荷重重量 | 13,500kg | 13,500kg |
発動機 | 誉一二型(離昇1,825馬力) | 火星二五型(離昇1,850馬力) |
最高速度 | 546km/h(高度5,900m) | 522km/h(高度5,400m) |
実用上昇限度 | 9,400m | 9,560m |
航続距離 | 1,920km(正規)/5,370km(過過重) | 1,815km(正規) |
爆装 | 500kg2発又は800kg爆弾1発 | 同左 |
雷装 | 800kg魚雷1発 | 同左 |
武装 | 20mm旋回機銃2挺(機首・後部) | 同左 |
乗員 | 3名 | 同左 |
[編集] 銀河と飛龍
銀河と同時期に開発・実用化された日本製双発爆撃機として陸軍の四式重爆撃機「飛龍」(以下、四式重爆)がある。この二機は、共に雷撃と急降下爆撃の両方が可能な双発爆撃機として登場している。
しかし、銀河は実験機をベースに開発されたこともあり、
- 高性能ではあるが大量生産を想定していない。
- 「国滅びて銀河あり」と揶揄されるほど機体や発動機に余裕が無いため整備が難しかった。
- 最低限の防御火器(機首及び後部に20mmまたは13mm機銃各1挺)しか装備していなかった。
のに対し、四式重爆は
- 最高速度や搭載力が銀河とほぼ同じであるにも拘らず、大量生産を考慮されていた。
- 機体や発動機の信頼性が高かった。
- 強力な防御火器(機首、左右胴体側面、尾部に12.7mm各1挺、背部に20mm1門)を備えていた。
という対照的な設計がなされていることから、銀河より四式重爆を高く評価する意見も一部にある。
生産機数についてみると、初飛行や量産開始時期がほとんど同時期であるにも拘らず、銀河が約1,100機であるのに対し、四式重爆は約700機と銀河の約6割程度に留まっている。生産機数を見る限り銀河の生産性が四式重爆に大幅に劣っていると断言しにくいようだが、実際には、生産に当たった中島飛行機では銀河専門の設計課を置き、各部に渡る生産性向上のための設計変更を施していた。
銀河一一型と四式重爆一型の燃料搭載量を比較すると、四式重爆は銀河の7割以下(機内搭載量のみ。銀河が落下増槽を装備した場合6割以下)であり、これがそのまま航続力の差となって現れている。このため、大戦末期に四式重爆を長距離攻撃に投入するには航続力が不足となり、防御火器を大幅に削減(尾部12.7mm2挺のみ)する代わりに燃料タンクを増設した長距離攻撃型(重量が増加しているため、最高速度等は低下していると考えられる)の開発に着手したものの試作段階で終戦を迎えている。
また銀河・四式重爆は共に高速力と搭載能力を買われて対B-29用の戦闘機型も作られている。しかし、20mmまたは30mm斜銃を搭載しただけの銀河の急造夜間戦闘機型が確実と思われる撃墜戦果を複数挙げているのに対し、75mm高射砲を搭載するという大改造が施された四式重爆の特殊防空戦闘機型(キ一〇九)はB-29と交戦した試作機が一度不確実な撃破を報じただけに終わっている。
長距離攻撃やB-29の迎撃において銀河が大きな戦果を挙げている訳ではない。しかし、低稼働率であったB-29がその高性能を活かして日本軍を苦しめたことに代表されるように、必要とされる時に必要とされることが出来たという点も四式重爆で高く評価される実用性と同じくらい兵器においては重要であり、この点においては銀河に軍配が上がると考えられる。
この他にも、銀河と四式重爆だけでなく、陸海軍が零戦と一式戦「隼」、雷電と二式単戦「鍾馗」、月光と二式複戦「屠龍」、紫電改と四式戦「疾風」など類似した機種を個別に開発・生産したことについて、機種数が少ない方が開発、生産、整備とそれに必要な部品供給が効率的・合理的に行えるとの見方から人的・物的資源の浪費ではないかという指摘がなされている。
開発面においては、陸海軍からの多数の開発発注のため、各航空機メーカーの設計陣に大きな負担がかかっていたのは事実である。しかし、航空機開発においては複数社による競作という形でバックアップ体制を整えていることが一般的であるにも拘らず、不採用機が無駄になることから、陸海軍とも昭和10年代初めに単独指名開発に移行している(F6FとF4U、B-29とB-32に見られるように、アメリカは競作開発のまま)。陸海軍ともバックアップ機の廃止により効率化を図っている以上、類似機種の並行開発を一概に非効率と断定することは難しい。
生産面では、工場担当者が闇市で原材料を入手したという話がある様に、戦時下の日本での航空機生産においては原材料や電力の供給がネックとなって、生産機種の限定や性能を犠牲にして生産性を高める設計をしなければならないほど、生産ラインはフル稼働していなかったという指摘もある。また、生産される機体数に対して不足気味であった発動機については陸海軍共ほぼ同じもの(装備する機体に合わせた仕様の変更などは行われている)を使用しており、性能を犠牲にしてまで機体の生産性を上げる意義は見出し難い。また生産機種を絞った場合には転換生産を大規模に行う必要があるが、生産が軌道に乗るまでにはかなりの時間を要す場合が多く、転換生産メーカーが生産しやすいように微妙な変更を加える例も多数見られるため、生産や整備の効率化、部品の共通化が大幅に進むとは必ずしも言えない。また生産を固定した機種に大きな欠陥が認められた場合、対策が取られるまで戦力が大幅に低下することは避けられず、戦力維持の面からはある程度の機種を揃えることも必要である。
銀河と四式重爆は開発・生産メーカーや装備発動機ばかりか設計思想まで異なっていたという意味では、両者は理想的なバックアップ体勢の関係にあり、両者とも開発に成功したために機種統一されることなく生産・実戦配備に至ったと言える。
[編集] 関連項目
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